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月例会休会のおしらせ

 投稿者:上野政好  投稿日:2020年 3月29日(日)20時20分54秒
返信・引用
  佐高8期の皆さんへ連絡いたします。福岡佐高8期会は毎月8日の例会を2000年から続けて
居りますが諸般の事情により2月8日の例会より休会致しております。再開の折は改めて連絡いたします。連絡遅くなりました事お詫びいたします。令和2年3月29日
                  福岡佐高8期会 上野政好
 
 

パルとレーリンク

 投稿者:徳永 博  投稿日:2020年 3月18日(水)11時41分5秒
返信・引用 編集済
   東京九段の靖国神社境内に、一人の外国人の肖像が飾ってあります。インドのラダ・ビノート・パル、1946年極東軍事裁判における11人の判事団の一人です。
 それは標記裁判において、先のニュルンベルグ裁判で連合国側判事団が設定した裁判憲章、平和に対する罪と人道に対する罪でナチスドイツ戦犯を裁く法理を、日本のA級戦犯に対しても適用する判事団の方針に対し、パル判事は、それは事後法刑事罰に相当し、訴追は無効であり,従って被告全員無罪であると主張したことによるものと思われます。それがパル判事が靖国神社境内に顕彰されている理由の様ですが、パル判事は決して日本の戦争責任が存在しないと言っているのではなく、南京大虐殺事件やバターン死の行進について、日本軍の指揮官及び兵士達は、俘虜に関する国際協定違反を厳しく問われ処罰されるべきであって、南京事件に関して松井石根が「犯罪行為の指示」「故意の無視」を行なったことの立証がない限り、無罪であると主張しているのです。そして南京大虐殺やバターン死の行進に見られる戦争犯罪が、訴追されているA級戦犯の「共同謀議」によるものでなく、ナチスドイツ首謀者の共同謀議によるホロコーストが日本の戦争指導者には当てはまらない以上、全員無罪との判決を求めています。

 パル判事の事後法処罰無効論には、オランダのベルト・レーリンク判事が賛成に回り、判事団の中で大議論となりました。レーリンクは連合国側が指名した各国判事団の中で、39歳で最年少の若さで東京に一番乗りし、進駐軍が用意した国内旅行に参加し、広島を上空から視察しています。その体験から、ナチスドイツによるホロコーストに比肩するとすれば、それは日本軍の残虐行為ではなく、アメリカによる原爆投下だったと主張するパル判事の意見に強い衝撃を受け、以後彼の法学研究及び司法活動は、核兵器禁止国際条約の締結に向けられることになります。

 東京市ヶ谷の極東軍事裁判法廷で、同じ判事席に座ったインド人パルとオランダ人レーリンクは、お互いを意識し、尊敬しあう仲になって行きます。レーリンク判事は、当時の国際法から見て「平和に対する罪」によって死刑を適用すべきではないと主張しました。他にも、1.東京裁判の管轄権は太平洋戦争に限定すべきである。2.共同謀議の認定方法には異議がある。3.「通例の戦争犯罪」では、嶋田繁太郎、岡敬純、佐藤賢了も死刑が相当である。4.広田弘毅は「通例の戦争犯罪」では無罪であり、「平和に対する罪」では有罪だが死刑にはすべきでない。として、広田以外にも木戸幸一、重光葵、東郷茂徳、軍人被告では畑俊六を無罪とし、特に畑の無罪に関しては、政府の政策を実行しただけの軍人を罰することは出来ない事を理由として挙げています。

 しかしこれらの意見書は1948年11月ウエッブ裁判長による判決言い渡しの際に、少数意見として読み上げられることなく、被告28人中精神異常のため除籍された大川周明、判決前病死した松岡洋右、永野修身を除く被告25名全員有罪が言い渡されました。その内絞首刑を宣告された7名の被告の内,文官であった廣田弘毅が含まれていることが後々まで議論を呼び、極東軍事裁判を勝者の驕りだと批判する素因の一つとなっています。

 オランダ大使を務めた外交官がなぜ極刑に処せられたのか、極東軍事裁判の判決を主導した判事団の多数意見は、ニュルンベルグ裁判で「共同謀議の罪」で死刑になったリッペントロップ外相と同じ罪状で廣田を死刑相当としたようです。これにはパル、レーリンク判事の他フランスのベルナール判事も異を唱えていますが、判事団の多数意見に押し切られてしまいました。しかし、生前の廣田弘毅の人柄を知る者には、悔いの残る裁判となってしまいました。城山三郎が「落日燃ゆ」で彼の壮絶な死を悼んだほか、多くの人たちが廣田を偲んで、追悼の辞を述べています。

 廣田弘毅に関して、もう一つ気懸りなことは、1968年に靖国神社松平宮司によって、廣田が東条英機等極東軍事裁判で処刑された6人の軍人とともに、「昭和殉難者」として、靖国神社に合祀されたことです。廣田家の遺族はそのことを知らされた時に、「軍人でもなく、戦死したわけでもない弘毅が、靖国神社に祀られ、慰霊顕彰されるのはいかがなものか、できれば合祀を取り下げてほしい」と靖国神社に申し入れたそうですが、神社側は「一旦合祀した者は、『靖国の神』となったのだから、これを取り消すことはできない」と合祀取下請求を断ったそうです。他にも元キリスト教牧師4人の戦没者の合祀取下請求、韓国、台湾人遺族からの旧日本軍人戦没者合祀取下請求等についても、神社側は一切拒否している様ですので、問題は何時までも解決しそうにありません。

 いま靖国神社游就館の前に肖像画が飾られているインドのパル判事が、廣田弘毅が「靖国の神」として本殿に祀られていることを知ったら,何というだろうか、戦後70年経った私達には、想像することさえできません。
 

拝復 山下永二様

 投稿者:徳永 博  投稿日:2020年 1月 4日(土)21時13分54秒
返信・引用 編集済
   2020年1月2日の貴信を、佐高八期会ホームページ掲示板で拝読しました。同期生の殆どが憲法や自衛隊のことに無関心である中で、貴君は高校時代から防衛大学校を志願し、生涯を陸上自衛隊員、富士学校教官として我が国の防衛問題に深く関わってこられた方としてその造詣の深さにかねがね敬意を表し、また葉隠の里、佐高同期生の仲間として誇りに思っておりました。そのような正統派の貴君から見れば、いささか左翼がかった理想論を振り回す者は、佐高八期生の風上にも置けない奴だと思っておられるかもしれませんが、小生も高校生の頃から生徒会総務になったり、ストームで蛮声を振り上げた「佐高魂」は八十翁になっても失っていないつもりですから、『冷戦時代からの左翼思想を引き継いでいる』(2018年5月22日貴信)とか『左翼思想に染まった』(2020年1月2日貴信)とか小生を批評することは止めていただきたいのです。そのことは本稿の末尾「5.思想の根拠」で説明することとして、貴信で挙げられている各項目について、小生の考えを述べたいと思います。

1.安倍首相の憲法第9条「合憲論」は、明らかに論理矛盾であり、第9条「戦争放棄」の立法趣旨にも背くものですから、小生は反対です。行政府の長である首相がこのような詭弁を弄するべきではありません。

2.憲法第9条の成立過程で、貴君が説明された通りGHQ民政局が大きく関わったことは事実です。当時極東委員会で天皇を戦犯として訴追する声があり、それを回避するためにも新憲法の成立が急がれたと聞いております。同時に当時の制憲議会で幣原喜重郎、吉田茂、金森徳次郎ら政府委員がこの第9条「戦争放棄」を上程した時に、大多数の議員がこれに賛成し、憲法制定に至ったことも事実です。また内閣府のみならず各省庁の官僚たちも、この第9条にもろ手を挙げて賛成していることが、昭和22年文部省が中学1年用の社会科の教科書として発行した「あたらしい憲法のはなし」に、こう書いてあることでもわかります。軍人だけでなく行政府の役人たちも戦争の無謀さと惨禍の大きさを身をもって体験していたからなのです。

 『そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。(同掲書32頁 1947年8月)』

 この小冊子は全国の中学校に配られ、小学校高学年の姉や兄が読んでいた様です。小生も軍艦や大砲が「戦争放棄」と書いた大なべに入れられ、そこから電車や船、消防車などが飛び出してくる挿絵をよく覚えています。

3.国防予算
 小生が日本の自衛隊が近隣諸国の威嚇となっているとの主張に対して、山下兄は各国の国防予算とGDP対比を掲げて、日本の防衛関係費が中国、北朝鮮、台湾や東南アジア諸国と比べて決して高くなく兵員も少ないと言っておられます。しかし北朝鮮の核ミサイル開発が示すように、一国の軍事力は兵器の質によって大きく左右されることを忘れてはなりません。釈迦に説法かもしれませんが、日本の潜水艦建造技術と保有数は、中国や他の海洋諸国の威嚇になっています。空母についても70年前世界最大の空母信濃を建造し就航させた技術は今日の護衛艦にも受け継がれています。今話題のイージスアショアやP3C哨戒機にしても、基本技術こそアメリカからの導入であっても運用技術は、同じ技術導入による韓国軍より遥かに優れています。これはかつてアメリカ相手に戦争をした国とそうでない国との違いでしょう。

4.核兵器禁止条約
 2017年国連総会で決議された核兵器禁止条約が、すでに核兵器を保有している国とそうでない国との差別等様々の欠点を持っていることは、山下兄が指摘される通りです。しかし核兵器禁止の理念は唯一の被爆国である我が国が真っ先に主張すべきものです。たとえ我が国が日米安全保障条約によってアメリカの核抑止力の傘の下にあるからといって、小国間で一旦核兵器を用いた戦争が始まると、アメリカを含め強大国が介入し全面核戦争になり、ただでさえ地球温暖化と大気汚染が問題になっているところに、大気汚染どころか地球は放射能雲によって覆われ、人類は確実に滅亡することを覚悟しなければなりません。核兵器がそのような威嚇を持つ以上、この使用を絶対に禁止しなければならないのです。現政権がこの核兵器禁止条約に積極的に参加しようとしないのは、アメリカへの遠慮の他に、我が国がすでに保有しているプルトニウム235により、いつでも核軍備が可能だということを、各国に対し暗示しているとしか言いようがありません。

5.思想の根拠
 私は憲法学を書物で東大法学部の渡辺洋三教授に教わりました。渡辺教授はその著書「日本国憲法の精神」において国連憲章の平和理念と、それを徹底させた日本国憲法の平和理念を次のように論じています。

 『国連憲章は、人類の何千年の歴史と何千万人の血の犠牲の上に、「正義」という目的を掲げれば戦争をしてもよい、という従来の古い考え方を一掃する新しい平和の考え方を、高らかに宣言したのです。
第一は、すべての主権国家は平等であり、内政や内戦に他国が介入してはならないという原則です。
第二は、国と国との争いごと(紛争)は,非軍事的手段で解決するという原則です。
第三は、そのために、国連に参加している国が、武力行使することを禁じ(憲章第二条第四項)、さらに、武力を実際に使わなくても、武力を使うぞとおどかすこと(武力による威嚇)を禁止するという原則です(同条)。威嚇まで禁止したのは国際法の歴史で最初のことです。
 国連憲章のこの新しい平和の考え方をさらに徹底したものとして、憲章制定の後に、日本国憲法が誕生しました。憲法第九条第一項の武力行使の禁止及び武力による威嚇の禁止という条文は、右に述べた憲章の平和理念と考え方は全く同じですが、憲章では「慎まなければならない」という書き方ですが、憲法は「永久にこれを放棄する」という、絶対禁止の書き方となっています。
 それだけではありません。憲章では、軍隊の保持そのものを禁止してはいませんが、憲法第九条第二項では「戦力」すなわち軍隊の存在そのものを禁止しています。本家本元の憲章と憲法を比較しますと、新しい平和についての考え方の基本は同じですが、憲章より憲法の方が徹底さにおいてまさっています。なぜなら、武力の根源にある軍隊そのものをなくせば、武力の行使や威嚇の心配も全くなくなるからです。その意味では憲法は、憲章の精神に最も忠実であると言えましょう。
 なぜ、これだけ徹底したものとなったのか。その理由は三つあります。その第一は、憲章が制定されたときには、まだ第二次大戦が終わっていなかったので、日本のようなこわい敵の存在が頭にあった、ということです。第二は、その憲章制定後に、日本は戦争に負けて新しい憲法をつくりますが、アジア諸国を侵略し、二千万人以上の人を殺傷した戦争犯罪を悔い改めるためにも、徹底した非武装、平和の誓いを世界に示す必要があった、ということです。第三に、日本はアメリカの原爆投下を受けて最初の被爆国となったというとも忘れてはなりません。原爆のおそるべき惨禍、核兵器のこわさというものを、憲章制定の時点では、アメリカのごく一部を除いて、まだ世界のほとんどの人は知らなかったのです。』(渡辺洋三 日本国憲法の精神 2000年4月p129)

 また、1960年頃東大総長だった矢内原忠雄教授が京大で講演された時、紀元前八世紀の旧約預言者ミカの次の言葉を引用されて、平和主義を訴えられたことが、その時はまだ平和思想に詳しくない駆け出しの学生キリスト者だった私の脳裏に、深く刻み込まれています。

 『 彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。
      そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、
      国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。
                                           ミカ書4:3  』

 矢内原先生によればこの言葉は、ニューヨークの国連本部の建物の壁面に刻み込まれているそうです。いつかアメリカ東海岸に行く機会があったら、ぜひ訪ねてみたいものです。

 

事実に立脚し実行可能解を

 投稿者:石井ト  投稿日:2020年 1月 3日(金)00時23分34秒
返信・引用 編集済
  日本人に欠けてるのは、事実を見極めることなく願望で動く、ということだ。
願望は理想と言いかえてもいいが、願望と事実は別のものである。
理想を求める余り、事実確認を怠って脇が甘くなるのは、如何なものか。相撲では負けである。
批判するだけではなく、自分ならこうするという主張がなされなければならない。
奇麗ごとだけで後は知らないでは無責任というもの。
纏めて言えば、
(1)事実に立脚せよ。
(2)その上で実行可能解を展開せよ。
である。
もっと言えば、わが国はこの複雑怪奇な世界にあって、国民の安全と自由と発展をどうやって実現するかということだ。
そのような意味から、徳永君の具体策を聞きたい。

具体的な国名は遠慮するが、ニュースなどで聞く難民や内戦の犠牲者、これが国民の安全と自由と発展を齎すべき国が乱れた場合の現実だ。
理想だけでは国は治まらない。現実を踏まえなければならないのだ。
瀬戸の花嫁ではないが、愛があるから大丈夫・・・ではないのである。

現実は増々その複雑さを増している。宇宙軍、ゲノム編集、AI、中国の台頭、サイバーアタック、地球温暖化、一国主義、などなど、核以上の脅威の素が生まれつつある。
それらに伍して国民の安全と自由と発展をキープし続けるには、事実を把握し対処し続けなければならない。奴隷となりたくないならば。

10年一日の如く憲法を不磨の大典に祭り上げてはならない。世界は動いている、それも猛烈に、という事実を踏まえるべきだ。

 

新年にあたり徳永君の叡智に期待

 投稿者:山下永二  投稿日:2020年 1月 2日(木)11時41分48秒
返信・引用 編集済
  毎年年末になると、徳永君の世を憂う政治・世相批判に若さを感じながら読んでいる。いつ頃からこのような左翼思想に染まったか知りませんが、出来たら、批判だけでなく国家観とか国かたち特に防衛の在り方に関する徳永君の叡智を聞きたい。年末の所感には特に異議を申し上げませんが、事実について確認したい。
1 安倍総理の憲法改正中自衛隊の明記について
安倍総理の自衛隊明記は、第9条1項(戦争放棄)と2項(戦力不保持)をそそまま残し、3項に自衛隊の存在を明記する加憲論である。これは私も反対です。2項と明らかに矛盾するからです。
安倍総理の意図は、多くの憲法学者の自衛隊違憲論に釈明可能な改正を述べたのかも知れない。又連立を組んでいる公明党に同調し協力を求めた政治的な発言かも知れない。
2 憲法第9条の成立過程について
「WWⅡの惨禍を身をもって体験した人たちが・・・」定めたという認識には誤認がある。前にも述べたが、憲法成立過程の焦点となっている自衛権の有無の問題です。占領軍司令官マ元帥は、日本側に憲法改正を命じたが、事前に毎日新聞にスクープされた憲法改正案(松本草案)をみて、マ元帥の意図したものでなかったので、1946年(昭和21年)2月3日「マッカーサー・ノート」を明示してGHQ民政局長に憲法草案起草を命じた。マ司令官は、同ノートの第二原則日本の非武装を図り侵略戦争の放棄及び自衛戦争の放棄までも意図していた。民政局のリーダーだったケーデェス大佐は、自己の安全を確保する手段としての戦争を放棄することまでを憲法に書き込むことは現実的でないとして自衛戦争の放棄を削除した。GHQ草案はわずか9日間で仕上げ2月12日に完了した。翌13日に日本側に提示した。国会で審議されながらも、占領下の重圧のなか制約されていた。第9条2項冒頭に「前項の目的を達成するため」という辞句を修文した芦田修正によって自衛権がやっと認められることになった。マ元帥は後程自衛戦争について容認した。マ司令官は、なぜそんなに憲法制定を急いだのでしょうか。占領軍の上位に立つ11ヶ国からなる極東委員会と占領政策について確執があり対立していた。2月26日に初会合することになっていたためと言われている。極東委員会は、芦田修正を容認し大臣に文民条項を導入した。以上が歴史の事実です。
3 自衛隊は他国に脅威を与えているか
◎ 主要各国の軍事費と対GDPを見てみましょう。
  (資料:2018年ストックホルム国際平和研究所)
  国 名   軍事費(億ドル)  対GDP(%)
  米 国     6488       3.1
  中 国     2500       1.9
  ロシア      614               3.9
    ドイツ      495               1.2
  韓 国       431               2.6
  日 本          466               0.9
中国は経済成長とともに軍事力も増強しており、ロシアを抜いて世界2位の軍事大国になった。日本は、微増ながらもGDP1%以内で横ばいしている。
◎ 次に極東諸国の軍備を見ましょう。(資料:2018年ミリター・バランス)
  国 名   人口(人)     陸兵力(万)     空兵力(機)  海(隻)
  ロシア    1.4 (億)    8 (極東ロシア軍)    400      260
  米 国    3.9 (億)    5 (在韓、在日)     530            30
  中 国       13.8  (億)     98  (極周辺)      2850      750
  韓 国    5.1 (千万)     56                       640           240
  北朝鮮        2.5  (千万)    110                       550           780
  台 湾        2.3  (千万)     24                       500           390
  日 本      1.2   (億)      14               400           135
台湾は九州と同じぐらいの領土で人口2千3百万人中24万の陸軍兵力で防衛している。北朝鮮は、僅か2千5百万人の人口に110万人の兵力で韓国と対立している。極東の軍事情勢は緊迫している中で日本の防衛力は、最新の装備を整備しながら、冷戦時代の18万人体制から15万人体制へ縮小した。日本の防衛は、専守防衛で初戦対処を基本とし、継戦力及び核の傘は米軍に依存している。アメリカ・ファーストを掲げるトランプは日本の安保依存に不満を持っている。詳細は、防衛白書をご覧ください。
4 核兵器禁止条約について
 核兵器禁止条約の目的は、核兵器の全面廃止と根絶である。2017年に国連総会で122ヶ国・地域の多数により採択された。全核保有国は、不参加、米国の傘の下にあるカナダやドイツ等NATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国なども不参加となった。オランダは反対し、シンガポールは棄権、北朝鮮は賛成から不参加へ転じた。全く理想的理念を掲げながら、実態は混乱しているのはなぜでしょうか?核廃絶を人道的理念だけを追求して、安全保障面からの配慮が欠けているからです。 全核保有国に賛同されなければ、国際社会は分断され対立し実効性が疑問視されて核廃絶は実現できません。又核の傘に依存している諸国は、核の脅威に晒され危機感が募るばかりです。最初の被爆国日本人なら誰でも核なき世界を願うはずだが、現実との隔たりに悲観せざるを得ない。
5 徳永君は、純粋なユートピアを求めているだろうと思う。然しながら、日本国憲法の平和主義と自衛隊の違憲問題や核廃絶に関して核保有国と非保有国との見解の相違に見るように、現実とはかなり乖離し、流動している情勢が実態です。グローバル化し激動している世界情勢の中で理想郷を夢見ることは大切ですがそれを実現する具体策に叡智が必要です。徳永君の叡智を絞った解決策を聞きたい。







 

2019年の終りに想うこと

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年12月26日(木)06時23分11秒
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   2019年が終わろうとしております。この年を振り返って思うことは、私たちの間で「ことば」に対する感覚が、次第に失われていく年であったと言えます。

 2018年から今年にかけて、国内では国民の民意を問う二つの選挙が行われました。一つは2018年8月の沖縄知事選挙であり、もう一つは今年7月の参議院選挙でした。沖縄知事選挙は、辺野古基地建設に反対し続けた翁長前知事の急逝を受けて、前知事の方針を継続することを公約に掲げた玉城候補が県民の圧倒的支持を得て当選しましたが、政府は何事もなかったかのように辺野古基地建設工事を続行しております。また参議院選挙は、安倍政権下で起こった財務省による国有地払い下げ問題等様々な不祥事が国会で議論される中で行われた国政選挙でしたが、与党が依然として議席の3分の2に迫る勢いで勝利し、選挙後安倍首相は憲法改正を国民に問い、憲法第9条1項はそのままにして同第2項に「自衛隊」を明記することを提案しております。憲法学者ならずとも絶句するような論理矛盾が、国の首相の口から、堂々と語られています。

 憲法第9条は、第2次世界大戦の惨禍を身をもって体験した人たちが、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄すると定めたもので、戦後に生まれ直接戦争を体験していないものを含め、遵守すべきものであることは言うまでもありません。戦後東西冷戦構造の激化と1950年朝鮮戦争勃発を受けて、国会では第9条が国の自衛権放棄まで定めたものではないという議論が起こり、警察予備隊が誕生し、それが数々の防衛論争の末に日米安保条約と称する軍事同盟の下で、今日の自衛隊に至っています。その自衛隊は、核武装こそしていないものの、陸海空の戦力は東アジアにおいて近隣諸国の軍隊と比肩し、他国に威嚇を与えるほどになっています。国民は憲法前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ことをいつの間にか忘れ去り、為政者は集団的自衛権の行使を法制化し、これこそ国連憲章の下での国際貢献だと称して、自衛隊の海外派遣を実施しようとしています。世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、今は米国の核の傘の下にあるという理由で、国連で決議された核兵器禁止条約にも加盟しようとしません。

 先月来日し、広島、長崎を訪問したヴァチカンのフランシスコ教皇が、被爆地から「戦争のために原子力を使用することは、犯罪以外の何ものでもない。原子力の戦争目的の使用は倫理に反する。核兵器の所有は、それ自体が倫理に反する。核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。」と訴えたことは、北朝鮮やアメリカ、そしてその傘の下にある日本の為政者が語るいかなる言葉よりも、真実で積極性がありました。ヴァチカンには儀仗兵以外の軍隊もなく、ましてや核武装国とは比ぶべくもない小国であるだけに、平和の使徒としてのその言葉には、説得力があります。それと比較して、憲法第9条1項はそのままにして同第2項に「自衛隊」を明記することを提案する安倍首相の言葉は、これが被爆国を代表する為政者の言葉かと、悲しくなります。

 今年、国内で聞かれた言葉のうちで、さらに私達を落胆させたものに、裁判所が挙げられます。福島県大玉村の農民数名が、原発事故により福島産米の販路が絶たれたと東京電力に対し損害賠償と汚染土の除去を求めた裁判で、福島地裁郡山支部は今年10月14日、「原告らが本件各土地の所有権が放射性物質により違法に妨害されている旨を確認する判決を得たとしても、被告(東電)が任意に本件各土地の土壌内における放射性物質を除去するに至るものとはにわかに考えがたい。(略)紛争が有効かつ抜本的に解決されるものとはいえず」、よって「不適法」であるとして、原告の請求を却下するという判決を下しました。
原告団長の鈴木博之さんは、「判決を聞いた瞬間は言葉も出なかった。まさか却下とは。十五回も期日を重ねたのは何のためだったのか。怒りが込みあげてきて、体が震えた。」と語っています。裁判所は原告が陳述した「セシウム汚染」の除去が極めて困難であることだけに着目して、これを「却下」判決の理由としたようですが、原発事故がそのような解決困難な課題を農民にかぶせたことについては、何の言及もしていません。被告の東電側はこの判決に対し、コメントを控えています。本件は原告団が一致して仙台高裁に控訴したのですが、今後も困難な訴訟手続きと、莫大な訴訟費用の捻出を強いられることになります。かつて裁判所は、1959年砂川事件でアメリカ駐留軍を憲法第9条違反とした東京地裁判決を書いた伊達秋雄判事、1973年長沼ナイキ事件の裁判で自衛隊違憲判決を書いた札幌地裁福島重雄判事など、気骨のある判事が多数いたのに、これら違憲判決は上級審でことごとく覆され、またこれら下級審の判事はその後裁判所人事で冷遇されて終わるなど、行政府からの露骨な司法干渉によって委縮し、弱者救済の原則を忘れ、体制におもねるか、今期の福島地裁のような逃げの判決をだしてはばからない、司法府の堕落がさらに深まっています。

 政権担当者に人事権を掌握されたために、国民に奉仕すべき公務員が、為政者の顔色を窺うようになったのは、裁判所判事にとどまりません。福田康夫内閣時代に霞が関の中央官庁の中堅以上の幹部は、内閣人事局が掌握することになり、それ以降官僚たちは自信と誇りを失い、官邸の意向のままに動くようになりました。かつて通産省で「佐橋大臣・福田次官」と揶揄された事務次官を頂点に局長や部課長が我が国の産業行政をリードしていた「官僚たちの夏」の時代は終わり、かつては政治家も寄せつけぬ程、国家予算決算を掌握していた大蔵省主計局長、課長以下の少壮官僚が、銀座のバーに入り浸っているところを摘発され面目を失墜し、それ以降予算立案には、まず官邸の意向を忖度する御用係となってしまったのです。2018年から今年にかけて国会で糾弾された「森友、加計学園問題」では近畿財務局が大阪森友学園に対し国有地を不当に安く払い下げ、加計学院農獣医学部新設には、文部科学省首脳が官邸の意向を忖度して認可したと囁かれる中で、結局は真相は究明されないまま、国会は次の「桜を見る会問題」に移ってしまい、そこでも総理府が管理しているはずの出席者名簿が、野党議員が請求した翌日に破棄されたり、係官のパソコンに残っているはずの原稿は名簿自体ではないという官房長官の詭弁によって、国民の前に開示されることはありませんでした。このように本来永年保管すべき公文書の類が、官邸の意向を忖度する官僚の手によって消去される、恐ろしい時代になっています。

 数日後にやってくる2020年は、私達にとってどのような年になるのでしょうか。若者たちがオリンピックだ聖火だと騒いでいる傍で、齢八十を過ぎた爺婆は、ただおろおろするばかりです。
 

いつかは誰でもこの星にサヨナラを

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年11月25日(月)15時50分51秒
返信・引用
   先日、ある若手の人気女優が麻薬物保持の疑いで、警察に逮捕されるという、センセーショナルな報道がテレビのニュースに流れました。事実彼女の住む都内の高級マンションに警察が捜査のため踏み込んだところ、大量の薬物が発見され、33歳の彼女が10年前芸能界のニューフェースとして脚光を浴びた頃から薬物を常用していた事実が明らかになってきました。来年NHKの大河ドラマに出演が予定され、大女優の道が約束されていたのに、彼女の私生活はこのように危ういものだったのです。もし麻薬服用が発覚しなかったとしても、この女優の身体は薬物によって次第に蝕まれて、40歳過ぎには廃人同様になっていたことでしょう。今年初めにもNHKドラマ「韋駄天」に出演中の男優が、同様の麻薬所持、服用が発覚し、番組から降板させられる事件があったばかりです。なぜこのような不祥事が繰り返されるのか、芸能界に特に顕著なようですが、名声と富を得る道が如何に危ういものであるか、そのいずれにも縁のない我々には、到底理解できないことです。今回の麻薬保持・常用の実体が明らかになれば、彼女は収監され、女優としての道は絶たれることになります。しかし収監中に薬物服用から断絶され、禁断症状の苦悩に耐えることが出来れば、彼女は自分の生命を取り戻すことができるのです。

 この事件をきっかけに、現在若者の間に薬物中毒被害が蔓延していることが、ニュース解説で紹介され、改めてこの時代が薬物によって毒され、理性のある若者たちが甘い誘惑に負けて薬物吸引に走り、それが常用化して次第に強い麻薬に頼るようになり、売人から高価な薬物を購入するために経済的に困窮し、ついには犯罪を犯すことになる、そのような悲劇が頻発していることが明らかになりました。一方違法な薬物を輸入し、闇のルートで販売するいわゆる「売人」の活動は、警察が摘発したものはほんの一部にすぎず、航空貨物にまぎれて空港の税関をすり抜けるものから、フェリーや漁船等を利用してケシ栽培の盛んな東南アジアから国内に持ち込まれるこれ等麻薬は、末端価格にして1件で数億円にも上るといわれています。最近はこの秘密ルートで持ち込まれる薬物が、国内で市販の嗜好品のように加工され、この合成麻薬が繁華街の夜間営業クラブ等で、そこに集まる若者たちに売却され、彼らはそれが違法薬物だと知らず安易な気持ちで購入し、陶酔感に浸っているというのです。この合成麻薬は製造過程で有毒物質が混入し、これを咀嚼するとさらに健康を害する恐れがあるものです。我々が知らないうちに、若者たちのうちに合成麻薬による中毒症状が急速に進み、彼らの将来が危ぶまれ、ひいては国が滅びる状態になっていることを、私達は座視することは出来ません。

 一般的に「覚醒剤」と呼ばれる神経刺激剤は、元来ケシ類の薬草から抽出した薬剤で、末期ガン患者の痛み止めや手術前の麻酔剤として医療関係者の間で広く用いられて来たものです。それが通常の医者の手を離れて、異常な精神高揚や幻覚作用のために用いられるようになると、次第に悪魔的要素を帯びていきます。太平洋戦争中、九州や四国の陸海軍航空基地で、夜間爆撃や特攻作戦に出撃する戦闘爆撃機搭乗員の睡気防止のために、軍医による覚せい剤注射が密かに行われておりました。敗戦により陸海軍が消滅した後、生き残った搭乗員たちに中毒症状が残り、薬切れの禁断症状に悩む彼らが町の医者や薬剤師を頼って「ヒロポン注射」をしてもらおうと、ひそかに尋ね歩いていたことを、開業薬剤師だった父の面影とともに思い出します。県の薬剤師会会長まで務めた父のことですから、それが違法であることは充分承知していたことですが、末の弟が予科練から生還したこともあって、元特攻隊員の禁断症状を見過ごしにはできなかったようです。その後の彼等がどうなったか、父は家族にそのことを語ることをしませんでしたし、我々もそのことを知りません。しかし父からは、薬には薬効があればあるほど薬害が伴うことを教えられており、少々の風邪ぐらいでは薬を飲まずに我慢し、むしろ滋養のある食物で病気を克服することを、薬剤師の息子だからこそ覚えていました。

 最近テレビの韓国ドラマで、16~17世紀朝鮮李王朝第14代宣祖に御医として仕えた「許浚(ホ・ジュン)」を観ています。このドラマは1975年キム・ムセン、1999年チョン・グァンリョルが主演して韓国MBCでドラマが放映されたのですが、2013年にムセンの子キム・ジュヒョク主演によって再度ドラマ化され、韓国MBC及び日本のテレビ東京で放映されています。このドラマの主人公ホ・ジュンは、数世代にわたって韓国民に親しまれている伝説の心医だそうです。このホ・ジュンはもっぱら薬草を煎じた生薬と鍼治療で、恵民署や内医院の病者を貴賤上下の区別なく誠心誠意患者の側に立って治療を行うのですが、彼が薬を用いる場合、薬効があるものほど薬害も大きいことを心得て、慎重に施薬する姿が印象的でした。

 これに比べると、現代の医者は患者の治療に専念するあまり、薬剤効果のより強い新薬を使いたがり、患部と別の場所で薬害を引き起こすことに目をつむりがちです。私の義兄も長期間にわたる投薬の結果、病気の治療には成功したものの、脳神経細胞が異常をきたして記憶機能が極端に低下して、娘が付ききりで世話しなければ生きていけない状態になっています。彼は病には勝ったものの、その後の人生は空白のまま余生を送っている状態です。高齢化社会が到来しても、薬害を残したまま生きることに、どのような意味があるのでしょうか。延命治療がもたらす高齢者の人生は、本人にとっても、また看病する家族にとっても、決して幸せなことではありません。

 いま超高齢化社会といわれる日本で、医療の倫理が厳しく問われています。古来不老長寿の霊薬が求められ、20世紀には臓器移植に始まり、クローン人間に関する実験まで、人の寿命を延ばす試みが種々行われたりしたのですが、そのような医療技術が進歩すればするほど、本来人間の命とは何か、ということが忘れられがちです。医療の現場にいる医師や看護師はもとより、時には患者になる私達にも、人間を含めた生物には寿命があり、「いつかは誰でも、この星にさよならをいう時が来る」(竹内マリヤ・いのちの歌)事を知らなければなりません。不死の妙薬を求めて、諸国に部下を派遣した唐の玄宗皇帝の古事を持ち出すまでもなく、施薬で不老長寿を得ることがいかに空しい業であることを、私達は悟らなければなりません。それでも、人類の歴史が物語るように、「生命は継がれていく」のです。この生命の継承こそ、私たちが望むことではないでしょうか。
 

徴用工問題と日韓請求権協定

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年10月29日(火)17時54分13秒
返信・引用 編集済
   今週はじめ、近くの本屋で「徴用工裁判と日韓請求権協定―韓国大法院判決を読み解く―」という書物を見つけ購入しました。この本は、2018年10月30日に出された日本製鐵徴用工事件再上告審判決[韓国大法院判決]を受けて、11月5日に元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明を出した、呼びかけ人である青木有加ほか5名の弁護士が編著したもので、いま韓国と日本との間で政治、経済問題として大きく取り上げられている徴用工裁判と日韓請求権協定の事実関係を詳細に検討したものです。

 去年10月30日の韓国大法院は、旧日本製鐵及び三菱重工における元徴用工被害者らの損害賠償請求訴訟において、新日鉄住金などの上告を棄却する判決を下し、それにより原告らの請求を認めた2013年7月10日ソウル高等法院判決が確定し、被告は原告元徴用工に対して1人当たり1億ウォンの損害賠償金の支払いを命ずる判決が確定したものです。
 これに対する我が国の反応は、安倍首相はじめ政府要人がこぞって「韓国大法院判決は1965年日韓請求権協定第2条で、1945年8月15日以前の国及び個人の損害賠償請求は『完全かつ最終的に解決されたこととなること』に違背するもので、認めることができない」というもので、国内の世論もその方向で、韓国の司法や行政府を批判するものが圧倒的に多いようです。そして、この判決または日韓協定の原因になった1945年8月15日以前に、韓国及び日本で起きた事柄について、思いを致す者は殆どおりません。

 今回韓国大法院判決が認定した元徴用工の労働実態は、これが日本製鐵という国を代表する大企業の労働者に対するものかと驚くような劣悪なものでした。それには1910年日韓併合以降植民地支配が強化され、15年戦争の激化に伴い朝鮮人強制動員が始められ、当初の「募集」が「官斡旋」方式で徴用が朝鮮総督府主導の警察力によって行われ、1944年には「半島人労務者の移入に関する件」閣議決定により、国民徴用令による「強制徴用」が本格実施されるようになりました。これに違反した者は1年以下の懲役または1000円以下の罰金を科す「法的強制」を伴うもので、その結果韓国各地から日本製鐵等国策企業に送られた徴用工は、危険かつ劣悪な労働環境の中で働かされ、賃金は強制的に貯金させられ、それを舎監が管理して、徴用工が本国へ送金することができず、柵で囲まれた宿舎から脱走すると警察により捕縛され時には死に至る拷問を受ける等、奴隷的状態に置かれていたというもので、それが裁判における損害賠償請求(慰謝料)の原因になっています。このような韓国人徴用工の労働環境は、日本製鐵に限らず、三菱広島、三菱名古屋、不二越等、損害賠償請求裁判になった企業、その他、朱鞠内、北炭夕張、常磐炭鉱、筑豊炭鉱、三井田川など、日本人労働者が敬遠する事業所や工事現場で繰り広げられていたのです。

 元徴用工の訴えは、はじめ日本の裁判所で提起されたものでした。その時裁判所は韓国人元徴用工がそのような人権蹂躙の職場環境で働かされた事実を認め、元徴用工の実体的権利は容認し、国も日韓請求協定では個人の請求権が消滅しないことを認め、裁判で「日韓請求権協定で解決済み」という主張をしたことはありませんでした。日本政府は「日韓請求権協定は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したもので、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。」(1991年8月27日柳井外務省条約局長答弁)というものでした。

 しかしその後1999年3月三菱名古屋女子勤労挺身隊6名と遺族1名が名古屋地裁に損害賠償請求訴訟を起こし、また2000年中国人強制連行被害者が起こした裁判で、原告勝訴判決や法律的争点で企業や国に対して不利な判断をする事例が増えてきた頃から、日本政府は突然解釈を変更し、韓国人を含むあらゆる戦後補償裁判で、条約(サンフランシスコ平和条約、日韓請求権協定、日華平和条約)により解決済み、という主張をするようになったのです。このように35年も前の日韓請求権協定に関する解釈を変更するためには、協定を結んだ相手国と協議して協定条文を変更するか新協定を結ぶ等の措置をすることが、国際外交上の常識であるにもかかわらず、日本政府がそれをしなかったのは、請求権協定には強制動員慰謝料請求権について明確な規定がなく、韓国政府が同協定第1条1に規定された5億米ドルを受領し、元徴用工等韓国個人の侵害賠償請求が請求権協定に言う「請求権」に含まれ、内無償3億ドルの経済援助は実質的な賠償であると日本政府は主張し、韓国政府も認めたにもかかわらず、これを主として韓国経済への投資、インフラ整備に用い、強制徴用被害者に対する補償金としては、1945年8月15日以前死亡者に対して約91.9億ウォンの補償金(無償3億ドルの約9.7%)しか支出しなかったため、韓国人の強制徴用に関する請求権の「完全かつ最終的に解決」されたものになっておらず、その責任は韓国政府にある、という主張が含まれているようです。

 そもそも日韓請求権協定とは何なのか。
 1951年サンフランシスコ講和会議直後から、日本と韓国との国交正常化交渉が始められ、1965年6月になってようやく日韓基本条約が締結され、それとともに「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」いわゆる日韓請求権協定が締結されました。その結果日本が韓国に対し、無償3億ドル、有償2億ドル、合計5億ドルの経済支援を行うこと(協定1条)、両国及び国民の間での請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決したこと(協定2条)が記載されています。この当時日韓併合時代の強制動員による徴用工問題、女子挺身隊問題、従軍慰安婦問題等が日本政府に充分に把握されておらず、また韓国政府は朝鮮戦争後の経済的困窮から脱却するために海外からの投資による基幹産業の育成、インフラ整備が急がれていたので、請求権行使による経済支援という玉虫色の解決策で決着させた経緯があります。そして協定までの交渉経過で、日本側は日本人個人が韓国内に残された日本財産(土地等)の返還を求める余地が残されているとして、先に述べたように、日韓請求権協定は、日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したもので、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない、という見解を執っていたのに対して、韓国側は、日本がサンフランシスコ平和条約4条b項において在韓日本財産に関する取扱いを承認した以上、在韓日本財産の返還を求められるはずはなく、日韓会談での交渉の対象は韓国の対日請求権のみであると反論していました。このような両国政府の請求権に関する解釈の違いが明らかであったにもかかわらず、1965年請求権協定締結に至ったのは、当時日韓国交正常化を急ぐ国内外の要求が強く、政治的力学が働いたものと思われます。いずれにしても日本政府は協定2条の「完全かつ最終的に解決された」という文言を振りかざすだけで、この条約による個人の請求権放棄までは言っていないので、韓国大法院判決が条約違反だという主張は、法理論的に矛盾した主張だと言わざるを得ないのです。

   ここで改めて、2018年10月30日韓国大法院でなされた「日本製鐵徴用工事件再上告審判決」を読んでみると、1.基本的事実関係 ア 日本の韓半島侵奪など、イ 亡訴外人と原告2,3,4の動員と強制労働被害及び帰国の経緯、ウ サンフランシスコ条約締結など、エ 請求権協定締結の経緯と内容等、オ 請求権協定締結による両国の措置、カ 大韓民国の追加措置 について詳述し、次いで上告理由第1点乃至第5点について、裁判所の判断を記し、結論として、上告をすべて棄却し、上告費用は被告(上告人)の負担とする判決を下しています。その結果、原審判決(ソウル高等法院2013年7月10日判決)が確定し、被告は旧日本製鐵に強制動員された韓国人4人に対し1人当たり1億ウォン(約909万円)の損害賠償金の支払いを命ずる判決が確定したのです。

 韓国大法院判決は大法院長金命朱他12名の大法官によってなされたものですが、その中で最末席の蘆貞姫が判決の多数意見の補足として、「日本政府の韓半島に対する不法な植民支配と侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為により動員され、人間としての尊厳と価値を尊重されないままあらゆる労働を強要された被害者である原告らは、精神的損害賠償を受けられずに依然として苦痛を受けている。大韓民国政府と日本政府が強制動員被害者らの精神的苦痛を過度に軽視し、その実情を調査・確認しようとする努力すらしないまま請求権協定を締結した可能性もある。請求権協定で強制動員慰謝料請求権について明確に定めていない責任は協定を締結した当事者らが負担すべきであり、これを被害者らに転嫁してはならない。以上のような理由から、多数意見の論拠を補充しようとするものである。」と説示しているのは、裁判官の心情が吐露されているようで、傾聴に値します。被告元徴用工に真の慰めを与えるのは、大法院判決でも損害賠償金でもなく、韓国政府が元徴用工らの救済に関する怠慢を認めるとともに、日本政府及び彼らを徴用した企業当事者の心からの謝罪の言葉なのです。また、このような若い裁判官が大法院の法官を務める韓国の司法の将来は、明るいといわざるをえません。ちなみに蘆貞姫を大法官に任命したのは、文在寅大統領なのです。
 

繰り返されるノモンハン

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年10月 3日(木)07時13分51秒
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   1939年5月11日に始まり9月15日に終わった「ノモンハン事件」については、日本の近現代史のなかで忘れてはならない事項の一つとされています。ちなみに高校の日本史の教科書には、1932年建国後間もない満洲国と当時外モンゴルと呼ばれたモンゴル人民共和国との間の国境線をめぐる争いで、関東軍とソ連・モンゴル軍がホロンボイル草原で死闘を繰り返し、双方に莫大な戦死者を出した、と記載されています。またわが国で戦後出版された事件に関する解説書や、それを基にした小説では双方の戦力がいかに展開され、激戦が繰り広げられたかを詳記したものが殆どで、双方で5万を超える戦死者を出しながら、戦争でなく「事件」と称していることに疑問を呈するものは殆どありません。それは戦前の旧日本陸軍が天皇の裁可もなく始めた国境紛争を、「事変」や「事件」と称し矮小化して国民を欺いた結果が、歴史的記述として残っていることを表しており、これらは「日中戦争」「ノモンハン戦争」として扱うべきものだと思います。

 2009年に言語学・モンゴル語学者の田中克彦一橋大学教授が「ノモンハン戦争・モンゴルと満洲国」という書を岩波から出版し、従来戦記物として描かれていた1939年国境紛争事件を、当時ハルハ族モンゴル人からなりソ連の勢力下で建国途上にあったモンゴル人民共和国と、それより南の内モンゴルから、中国東北部の興安四省にかけて遊牧していたバルガ族との間で、以前から幾度か境界紛争があり、1932年満洲国建国によって満洲を支配した関東軍は陸地続きの中での国境紛争という新たな課題を抱えて、ソ連及びモンゴル国と対峙することから書き始めていたのが注目されました。このモンゴル族内の遊牧地の境界をめぐる小競り合いが、その背後にいた満洲国およびソ連という二大勢力が後押しして、大規模な戦争にまで拡大したのです。1991年東京で行われた「ノモンハン・ハルハ河戦争国際学術シンポジウム」で、モンゴルのゴンボスレンという元軍人が「あの戦争は避けることができたかもしれない」と発言して、参加者に深い感銘を与えたと、田中教授は語り、「戦争をより詳細に解明する研究」ではなく「戦争をいかにして避けるかの研究」が今必要ではないか、と言っています。これは私たち日本人にとって、「ノモンハン戦争」ばかりでなく「日中戦争」「アジア太平洋戦争」についても言えることです。

 1911年辛亥革命により清王朝が滅びて後、北辺のモンゴル遊牧民は、ジンギス・ハーンの時代から変わりなく、ブリヤード、ハルハ,バルガ等様々な種族が、広大な牧草地に割拠していました。彼らの宗教はチベット仏教(ラマ教)で、ノモンハン戦争の激戦地になった「ハルハ廟」は200年ほど前にバルガ族の王侯がラマ教の廟を建てたことからこの地名が生まれたと言われています。モンゴルの各種族は総じて独立自治の気風に富み、これに応えて清王朝の雍正帝がバルガ族に牧草地を与える際、漢族の開墾と農耕化を禁止する勅令を出して、彼らを保護する政策を採っていました。清王朝滅亡後、1920年建国した満洲国は国是として五族協和を唱え、また興安嶺を超えた西側のホロンボイル地方とその南に連なる内モンゴルの東端部に対して、清王朝時代と同じく特別の考慮を払ったので、この一帯に住むバルガ族の首長達は新興の満洲国を驚きと期待感で迎え、その西側に位置するハルハ族の中からも、興安四省への移住を試みるものが居たほど、満州建国は一時期モンゴルの諸族に彼らの生存を許す期待の国家として歓迎されたのでした。この期待感は建国後10年もたたないうちに雲散霧消してしまいます。満洲国は標語の五族協和とは裏腹に、日本の帝国主義政策を支える資源供給、兵站基地と化していくのです。

 一方ロシア領内のブリヤードに手を焼いていたソ連は、モンゴル族を封じ込め、隣接する満洲国に対する橋頭保とするために、1921年モンゴル人民共和国を建国させます。表向きはモンゴル人の独立自治を認めながら、モスクワの治安警察組織がウランバートルの共和国政府を陰で操り、ソ連の意に添わぬ為政者や独立運動家が台頭すると、すぐにソ連に連行し、病気療養を強制し、あるいはスパイの罪名で処刑してしまいました。モンゴル史研究者によると、ノモンハン戦争開戦直前までに1000人にも上るモンゴル独立党員がモスクワに召喚され消息を絶ったといわれています。そして満州国側も、1930年ハルハ廟事件をきっかけにした国境策定のためのマンチューリ会議の満洲国側の代表を務めた凌(リン)ションが突然逮捕処刑されています。当時関東軍の高級参謀だった東条英機がこれを謀んだと言われています。凌ションは興安北省省長の地位にあり、人望も厚かったので、この逮捕処刑に関係者は驚愕したそうです。そして逮捕後拷問の末の自白で別のモンゴル人高官がスパイ容疑で逮捕処刑されるなど、人民共和国側と満洲国側のモンゴル人同士の国境線策定会談は、背後のソ連と関東軍から猜疑の目で監視され、少しでも妥協的な態度をみせるとスパイ容疑で会談の場から引き摺り下ろされ、消されてしまうという悲惨なものでした。

 モンゴル大草原の中で、部族間の牧草地の境界を定めるのには様々な掟があり、ホロンボイル草原では、野原の中に建てられた古代寺院の廟や将軍塚が境界を示す目印だったようです。この地には南東から北西にかけてハルハ河が流れておりその東約20キロの地点に「ノモンハーニー・ブルド・オボー」という塚があり、その塚を中心にハルハ河と並行して南東から北西に引いた線をハルハ族とバルガ族の境界線とする暗黙の了解が、両モンゴル支族の間で認識されていたようです。関東軍はそれを認めずあくまでもハルハ河を満洲国とモンゴル人民共和国との国境線にしようと図ったので、オボー塚とハルハ河の間、幅約20キロの草原をめぐる紛争が、ついに双方10万人の正規軍が繰り出す戦争になってしまったのです。

 ここで私たちが想起するのは、旧約聖書創世記13章に記載されている、アブラムとトロとの間に交わされた棲み分けの物語です。伯父/甥の間柄で牧草地の棲み分けをする場合、伯父のほうが先に良いほうを取るのが常識の世界で、アブラムはあえてロトに優先権を譲ったこと、ロトの目にはソドムの地がより好ましく見えたことが、後にどのような結果になったかを、この創世記13章は物語っています。これを三千年後のホロンボイル草原の境界線引きに移して見ると、モンゴル族同士の数年もかけての話し合いに業を煮やし、ハルハ河東岸を武力で奪取しようとした関東軍と、満州国の内モンゴルへの拡張を武力で阻止しようとしたソ連極東軍が、モンゴル族同士を戦わせるノモンハン戦争を引き起こしたことは明らかです。

 ノモンハン戦争は関東軍が5月15日、日・萬軍250人がノロ高地に進出し、捕虜としたソ連兵からソ連・モンゴル軍がハルハ河右岸に終結との情報を得て、山形支隊1,600名の日・萬軍が出動し、28日からの戦闘で、戦車を伴った優勢なソ連・モンゴル軍に包囲され敗退,フイ高地では日本軍守備隊1,000名が全滅したと思われたが、井置支隊長に率いられた129名の将兵が戦地を脱出して、関東軍陣地に帰着したが、辻政信大佐等関東軍参謀はこれを無断撤退とみなし,支隊長は自決を強要され、帰還兵は隔離され、戦死者は靖国神社合祀も拒否される措置を受けています。後に太平洋戦争で繰り広げられる「生きて俘囚の辱めを受けることなかれ」という戦陣訓により、戦闘以外の処で死を強要される将兵の多いことが、ノモンハンに始まりインパール、沖縄へと続くのです。また、ソ連・モンゴル軍が多数の戦車や野砲で戦闘に臨んだのに対し、関東軍が38式歩兵銃でこれに立ち向かったことが日本軍の歪んだ精神主義を表しています。敵戦車の攻撃に対抗するため、サイダー瓶にガソリンを詰めたものを身体に巻き付けた兵士が、敵戦車のキャタピラに向けて突撃したというのです。日本軍が兵器開発の遅れを兵士の人命で補おうとした、狂おしい現実がありました。関東軍がこのちっぽけな国境線の争奪に、わずか4か月の間で5万人の将兵を死傷させています。

 スターリン時代のソ連では、ノモンハン戦争のソ連側の戦死者数は隠蔽されていましたが、最近になってその数が2万4000人規模であることが判明し、日本の元軍人が「日本は負けていなかった」と言い出す騒ぎになっていますが、愚かしいことです。しかも9月15日休戦後、関東軍はモンゴル共和国側が主張するハルハ廟を国境線とすることを承認してホロンボイル草原から撤兵しています。5万人の将兵を戦死させて、国境線を変えることもできなかった責任をだれが取るのか、あれは単なる国境紛争で、その結果には誰も責任を感じなかったのでしょうか。先週東京地裁で、弁護士団の告発を受けていた東京電力の原発事故の刑事裁判についての判決は、全員無罪というものでした。ノモンハン戦争は今も繰り返されているのです。

 

英国よ、何処へ行くのか

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年 9月26日(木)21時33分41秒
返信・引用
   私の中学時代、社会科のF先生が熱っぽく語られ、少年の心に民主主義の偶像にまでなっていた「英国議会」が、最近おかしくなっています。2016年国民投票で、英国がヨーロッパ共同体EUからの離脱に賛成する票が辛うじて過半数に達して、それ以降英国の政界は、政権与党の首相まで交代させて、EU離脱をどのような時期にどのような方法で行うかについて議論を繰り返して一年が経過しまいました。最近は英国下院が10月末日に迫った離脱期限を更に延長することを決議しただけで、それに対しジョンソン首相は「これでは英国は野垂れ死するだけだ」と息巻き、議会の解散総選挙に打って出ようとしています。そうしたら、弟で科学教育担当相のショー・ジョンソン氏が閣僚を辞任し、首相官邸ダウニング街10番地から自転車で去って行く姿が現在の英国政界の混迷を象徴するようで、他国のことながら、これでよいのかと心配して眺めていました。

 ヨーロッパ共同体EUは言うまでもなく、20世紀初頭、戦乱に明け暮れしたヨーロッパが国境を廃止して人々及び物資が自由に往来できるという、グーテンホーフ・カレルギー伯爵等が構想した「欧州共同の家」が、第2次大戦後フランス及び西ドイツが中心になり、1949年欧州会議で23か国代表が集まった時、欧州経済統合が発議され、1958年ヨーロッパ経済連合EECの発足を見、1973年英国が加盟、さらに1992年加盟各国の通貨統合も含むヨーロッパ共同体EUへと進展していったのです。その原動力となったのは西ドイツの技術力を軸にした重化学工業とフランスの農業が欧州市場を支え、アメリカ中心の世界経済を塗り替えたことにあり、アデナウアーやコール、ジスカールデスタンやポンピドーといった優れた政治家がEUの結成に寄与したとされています。

 私事ですが、1982年特許庁から欧州出張を命じられ、パリ経由でジュネーブに旅行した時、シャルル・ドゴール空港でジュネーブ行きの便を待つ間、駐機場から次々と飛び立ってゆく英仏共同開発の超音速機コンコルドを見ながら、ヨーロッパが着実に変貌しつつあるのを肌で感じていました。その後英独仏共同企業「エアバス」の成長は、それまで世界の空を独占していた米国製旅客機の隆盛に歯止めをかけて、今やボーイングと対峙するまでになっています。また、2004年弁理士の国際会議のためイタリアに旅行した時、EU通貨統合でそれまで空港行きのタクシーに16万リラを払わされたのを、2回目は70ユーロで済んだことに、EU統合の好影響が外国人旅行者にも及んでいることに感嘆しました。

 その時は英国もEU加盟により、第二次大戦後の沈滞いわゆる「イギリス病」を克服しつつあるように見えました。しかし英国には、ナポレオン戦争の時代から第2次大戦の初期、ナチスドイツが欧州大陸を蹂躙した時に、孤軍奮闘してアメリカの参戦を待って、最終的に勝利したことを思い出したのか、2000年以降EUから離脱しようとする動きがにわかに政治的課題となっていきました。関税はもとより国境の検問等を廃止することによって、英国を含めEU加盟国が今までに受けた利益は計り知れないものがあります。それは今までソ連の統制下、鉄のカーテンと称される障壁で西欧諸国から隔離されてきた東欧諸国、とりわけ東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア等がEUに加盟し、またはその意向を示しているだけでなく、トルコ等イスラム圏の国がEU加盟を希望する状況にあります。そのような動向に逆行するように、EEC当初からの主要加盟国の一つであった英国がなぜ今になってEUからの離脱を意図するようになったのか、欧州市場を標的に英国に投資してきた外国企業はもとより、欧州を旅してきた外国人にとっても、それまで国境検問でパスポートやビザ提示のわずらわしさから解放されたのに、それが元の木阿弥になってしまうのは何故なのか、英国はイングランド、ウエールス、スコットランド及び北アイルランドの四国よりなる連合王国ですが、これがEUから離脱するとなると、北アイルランドとアイルランドとの間に国境検問所が設けられることになり、人と物の流通が難しくなることは明らかですし、英国民自身がせっかくEU域内で得ていた自由を自ら放棄する愚を犯すことになるのです。これほどまでして英国議会がEUからの離脱のために半年もかけて議論をし、首相や閣僚が交代し、しかも何も成果が上がっていないのは、「イギリス病」がさらに深刻な病状を呈しているとしか言いようがありません。

 「離脱」は何かを成し遂げるための手段の一つに過ぎないのですが、英国民にとってヨーロッパの生活圏の中で、それまで仏独と強調して築き上げてきたEUから離脱しなければならない理由は何なのか。一説には新たにECに加盟した東欧諸国からの移民が増え、英国民の雇用を奪ったからだと言われていますが、EUから離脱すれば、EU市場を前提に英国を目指す外国企業の投資が英国から離れ、そこでまた雇用機会が減るのです。ジョン・スチュアート・ミルを生んだ英国民がそのような経済原理を弁えないで、ただEU離脱を叫んでいるのでしょうか。英国議会は国民にEU統合の利益を説明できず、只政争の具にして、政治日程だけを推し進めようとしているとしか言いようのない英国議会の混迷だけが外電として報じられています。英国議会にとってはEU離脱はそれ自体が政治目的になってしまったといっても過言ではないようです。

 

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