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天文学の父チャン・ヨンシル

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年 3月14日(木)07時28分15秒
返信・引用 編集済
   最近家にいることでテレビを見る機会が多くなったが、丁度昼食時にBS日本テレビが放映する韓国KBS2016年の「チャン・ヨンシル」を興味深く観ている。

 蒋英実(チャン・ヨンシル)(1383?1450)は15世紀前半朝鮮王朝第4代世宗の時代に生きた科学者で、父親は高麗王朝期の高名な科学者であったが、李成桂(イ・テゲ)による朝鮮王朝開祖(1392年)の後、高麗王朝復古勢力を弾圧した時に、奴婢の地位に落とされ、暦法を司る書雲観の寺奴婢とし役に従事していた。程なく英実は、父に教わった天文学の知識を認めた第3代太宗(テジョン),第4代世宗(セジョン)らの計らいで明国に派遣され、明の高名な天文学者・郭守敬の水運儀象台を修理したことから、帰国後朝鮮独自の観儀台を製作し、天文観測を行って暦法を確立する。当時李王朝は明の朝貢国であり、独自の暦法を持つことは明の皇帝から固く禁じられており、これに違反すれば明の軍隊が韓半島を蹂躙する恐怖の中で、旧守派の政府高官達がこぞって蒋英実に圧力をかけるが、世宗は身分を問わず広く人材を求め、旧守派の妨害から英実ら若手科学者を守り、朝鮮独自の暦法のみならず、独自の言語[訓民正音〕(ハングル)を創出することに尽力する。1425年(世宗7年)に世宗は、政府高官を含む両班階級の猛反対を押し切って蒋英実を免賤(奴婢を格上げして良民に)し、尚衣院別坐、後に正五品司直(サ・ジク)という官職を与えて秘密の天体観測所の主任に据え、若い数学者、科学者らを集めて暦法の確立に尽力する。やがてこの観測所は明の情報機関「東廠」に探知され、明の恫喝におびえる旧守派の両班武装集団により焼き討ちされるが、英実の機転により観測記録は予め土中に埋められ、朝鮮の暦法は消滅を免れる。

 独自の天体観測から、朝鮮において日食月食、流星雨等の正確な予測が可能になったが、どうしても払しょくされない誤差の原因を追究していく過程で、蔣英実は発想の転換を試み、地が太陽の周りを回っているのではないかという仮説を立て、その計算に基づいて月食の時刻を正確に予測した。これはガリレオ・ガリレイが地動説を唱えた1597年より170年も前のことになる。蔣英実が身分制度の呪縛に煩わされずに、自由に研究発表をすることが出来ていたら、そして彼の残した文献が両班達の焼き討ちに合わずに残っていたら、世界史の中でガリレオに代わり「天文学の父」の称号を与えられていたに相違ない。

 しかしその後朝鮮王朝は世代が下るにつれ、両班を中心にする身分制度が益々強化され、第11代中宗の長今(チャングム)、第19代粛宗の淑嬪崔氏[同伊〕(トンイ)など幾つかの例外を除き、強固な身分制度の陰で多くの人材が潰され、社会は活力を失い、鎖国状態に安住した結果、第26代高宗、第27代純宗(李王)に至って日本に併合され、王朝滅亡に至るのである。

 朝鮮王朝を滅亡させた日本も、身分制度において李王朝期の韓国とさして相違ない。1868年明治維新により「士農工商」制度は廃止されたが、「王政復古」の名のもとに天皇制は却って強化され、爵位が創成され、皇族を取り巻く華族制度が維持された。1945年敗戦を機に華族制度は廃止されたが、その後も「国体護持」が米国の占領政策の下で許容され、1947年日本国憲法の中でも主権在民と言いつつ天皇条項が本文冒頭に置かれていることは、戦後民主主義の限界を示すものとして、我々の心に重くのしかかっている。

 東大史料編纂所の山本博文教授が学士会会報第935号に寄せた「天皇百二十五代と日本の歴史」は、その冒頭に「天皇は今上天皇まで百二十五代とされるが、初代神武天皇から十五代応神天皇までの存在は疑わしい」と証言している。今日本人が2月11日を建国記念日として祝うことに何の根拠もないことを、国史編纂に携わる教授が言っている。さらに山本教授は、奈良時代に皇統が不安定で多くの政争が起こり、天皇の後継者争いが沈静化するのは天皇の外戚である藤原氏が摂政・関白となって政治を代行した平安時代になってからであると説明している。その後鎌倉時代は武家が政治の実権を握り、皇統は分裂し、九十六代後醍醐天皇は鎌倉幕府の打倒に成功するが、後醍醐による建武の中興はすぐに崩壊し、後醍醐の南朝と足利尊氏が立てた光厳天皇に始まる北朝に朝廷が分裂し、その後室町、織田・豊臣時代、江戸時代と武家政治が続く中で、北朝の天皇家が武家により保護され、明治維新による「王政復古」により天皇が国家元首として国政を「総覧」することになったのは、我々が戦前の「国史」ではなく、戦後の「日本史」で学んだ通りである。

 現在「平成」時代が終わり、新天皇の即位が予定されている中で、戦前の「現人神」崇拝を復活させる動きが国民組織や政府筋によって推進されているが、主権在民の国是に背く、愚かしいことである。
 
 

日本海海戦と水野廣德

 投稿者:徳永 博  投稿日:2019年 1月16日(水)16時07分48秒
返信・引用 編集済
   教会の本棚から、1972年(昭和47年)毎日新聞社が刊行した「戦争文学全集」第一巻に、水野廣德の「此一戦」が載っていたので、借出してきて、一週間程かけて熟読した。この書は、1905年「日本海海戦」を海軍士官として実体験した水野が描いた戦記であり、同時期に203高地の戦闘を描いた陸軍連隊旗手櫻井忠温の「肉弾」とともに、現役軍人の手になる日露戦争の記録として、記念碑的作品となっている。

 水野の「此一戦」は、1904年(明治37年)10月、リバウ港を出帆したロシア海軍の太平洋艦隊、通称バルチック艦隊38隻が、一万七千海里を超える大航海の後、ウラジオストックへ向けて対馬海峡にさし掛かった1905年5月27日、東郷平八郎大将率いる帝国海軍連合艦隊と海戦になり、バルチック艦隊は旗艦スウオーロフはじめ戦艦8隻、巡洋艦、駆逐艦等22隻が沈没もしくは大破して降伏し、戦死者4,830、捕虜6,106、その中には司令長官ロジェストウェンスキー中将を含む、逃亡してウラジオストックに入港したのは駆逐艦等3隻だけだったのに対し、連合艦隊は水雷艇3隻沈没、戦死者117に止まる一方的勝利となった。

 日本海海戦は、20世紀の近代戦が従来とは比較にならない程、殺傷力の高い兵器が使われ、多くの将兵が瞬時に海の藻屑と化すか、または生きながら海没させられる悲惨なものであるかを、従軍したものに強く印象付けた。水野は海戦の勝利者側にいながら、バルチック艦隊の軍艦が日本海軍の強力な下瀬火薬の砲撃に遭い、火炎に包まれ、多くの将兵を乗せたまま転覆し沈没していく様を望見し、「暗黒なる海底の鉄室内に閉じ込められて、救助を受くるの望は絶対に絶え、逃れんと欲して逃るる能わず、死せんと欲して死する能わざるものである。浸水は室内の空気を駆逐して、漸時膝を没し、腰を侵し、時計の針の一セコンド毎に迫り来る死を待つの時、胸中の苦悶果して如何であろうぞ。」と述べている。

 この日本海海戦における連合艦隊の勝利は、陸軍の旅順攻略、奉天会戦勝利とともに、我が国を一躍世界列強の一つに押し上げるのに貢献したが、これが我が国民にとって果たして良かったのかどうか。乃木・東郷の神話が櫻井忠温の「肉弾」と水野廣德の「此一戦」によって創り出され、後に満州事変、支那事変を引き起こし、ついには太平洋戦争の敗戦により、三百万もの将兵が戦死したばかりか、空襲や地上戦で五十数万の市民が死傷する悲惨な結末となったのでは、と思わずにはおれない。

 水野は1911年(明治44年)「此一戦」刊行後、櫻井とともに文人将校として、一躍その名を知られるようになったが、陸軍軍人として皇軍を賛美し続けた櫻井と異なり、二度の米国訪問時の知見から、もし我が国が米英と戦うようなことになれば、強大な工業力の生み出す兵器を用いた戦略により、悲惨な敗北を喫すると予知し、1925年(大正14年)中央公論に「新国防方針の解剖」を発表し、非戦論を展開した。また1932年(昭和7年)に「興亡の此一戦」を東海書院から刊行したが、満州事変以来の非常時を国民に徹底させようとしていた政府によって発売禁止となった。戦争に関する先人の知恵に耳を貸さず、言論統制によって事態を乗り切ろうとする当時の政権担当者の愚昧さを示す一事である。

 逆にアメリカ国防省の要人は、水野の中央公論に寄せた「新国防方針の解剖」を知っていた。1945年夏米軍機が撒いた降伏勧告ビラには、[水野廣範(ママ)氏は次のように掲げた。「我等は米国人の米国魂を買い被ることは愚かなるとともに、之を侮ることは大なる誤である。米国の兵力を攻究するに当り、其の人的要素は,我彼同等のものとして苦慮するにあらざれば、英国人に対したる独逸人の誤算を繰り返すであろうことを恐れる」と。軍事指導者は、水野氏の注意された間違を繰返したのである。彼等は今では誤算を自覚している。この強欲非道的軍部指導者を打倒するには、米国が、日本国土を衝かねばならないのであろうか。祖国を救え!]と記されている。英語を敵性語として、国民に使用を禁じた日本の軍事指導者と、20年前に遡って日本国内の雑誌を読んでいたアメリカの軍事関係者との差異が、歴然としている。日本は戦う前に、すでに米国に敗れていたのだ。
 

例えば「ふるさと納税」実践記

 投稿者:石井ト  投稿日:2018年12月28日(金)20時28分15秒
返信・引用 編集済
  (1)ふるさと納税とは
ふるさと納税は、納税という言葉があるから税金だと理解している人も多くいるだろうが、実際は都道府県、市区町村への寄付だ。
但し、この場合の寄付は、寄付金額が限度額内であれば、その寄付額から2、000円を差し引いた額が所得税及び住民税から減額(税額控除)されるという特殊な寄付である。
式で書けば次の通りだ。

d=寄付金額(限度額内の額:限度額という歯止めがないと100%寄付されたりして住居地の自治体が保たなくなるので設けられている額のこと)
t=本来の納税額(ふるさと納税しなかった場合の納税額)
T=ふるさと納税後の税額
p=支出額合計

 T=t-d+2,000 (1)

出ていく金額合計は、

 p=T+d  (2)

であるから、(2)式のTに(1)式を代入すれば、

 p=t+2,000

即ち、支出額合計はふるさと納税しなかった場合の納税額に2,000円プラスした額となる。
従って、ふるさと納税されたい自治体は、2,000円を上回る返礼品を用意して、ふるさと納税を呼び込もうと努力するのである。
返礼品とは、会社でいえばポイント制のようなもの。云わば営業促進品(おまけ)である。

注意点は、上の式が成り立つ条件としてt>dである点だ。
平たく言えば、住民税が非課税の場合は、寄付金額の限度額がゼロとなるのだ。
限度額ゼロでも、寄付は可能だ。だが、確定申告時の寄付金税額控除は受けられないとなる。

(2)ふるさと納税実践の手順
・ふるさと納税先の市町村に電話して、必要書類(「払込取扱票」と「寄付申込書」、「返礼品リスト」)を送ってもらう。
・住居地の市町村に限度額を訊く。・・・そしたら「今年度の所得が前年度と同じ程度ならと言う条件で幾ら幾ら」と限度額を教えてくれる。
・「払込取扱票」を記票し、郵便局で寄付金を振込む。
・「寄付申込書」に必要事項を記載し、ふるさと納税先の市町村に郵送する。
・「寄付受納書」がふるさと納税先の市町村から送られてくる。
・確定申告の際、「確定申告書第一表」の⑯欄に寄付金額から2000円を差し引いた額を書き込み、「確定申告書第二表」の⑯欄に、寄付金の額を書込んで申告する。
・その内、返礼品が届くから受取る。

(3)例示(小生の場合の発端と動機)
・小生がふるさと納税に目覚めたのは、今年の11月ころ、毎日新聞から届いた「私のまいにち」という毎日新聞読者向けの小冊子を見た時だ。
表紙に「ふるさと納税はじめての一歩」と書いてあった。
タイミングとしては、丁度、佐賀在住の妹夫婦なども高齢化し、介護など、何かと自治体の世話になってる事を、憂慮していたところだったし、更に、自分自身も、生まれてから高校卒業まで、育んでもらった自治体に、何らかのお礼がしたいと思っていたところだったので、この際、やってみようと決心した。
・早速、佐賀市に電話したら、上記の(2)の手順も分かり、後は実行した。

(4)実行結果の所感
・ふるさと納税は、難しくない。
・住民税を払ってる人なら、限度額内という条件はあるがやれるはず。だから実行する気があるなら簡単だと思う。
・私は、佐賀の米を選んだ。来年になるが「夢しずく」という米が、6か月間、月1回のペースで届くはず。・・・ささやかでもお礼が出来るし楽しみが増えることでもある。

(5)私の言いたいこと
我々は、確かに高齢だ。だが、だからと言って、しない理由を探してはならない。ぼやくだけでは何の解決にもならない。
要は、現実を直視し、実行可能解を見付けて実行することだと思う。
 

年の瀬に想うこと

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年12月28日(金)09時17分58秒
返信・引用
    2018年が終わろうとしています。今年は私たち一人一人にとっても、また周囲の環境、世界にとって、激動の時代でありました。
 それを一言でいうなれば、危機的状況がさらに深まったといってよい1年でした。わが国について言うなら、小子高齢化と地方の過疎化、政治経済のみならず、社会の諸活動の首都圏への一極集中化が進む中で、安全保障と称して沖縄や奄美群島への軍事基地負担が一層強まり、沖縄辺野古基地建設が急ピッチで進められています。一方では産業界の人手不足を理由に、外国人雇用促進が最低賃金や保険制度の保証もないまま、安易に進められています。福祉や介護の分野で、人手不足が解消されると為政者は宣伝していますが、裏を返せば若者たちの職業選択が、そのような苦労の多い低賃金の職場を避けて、安易に高収入が約束される都会のソフトウエア産業やサービス業に向かっていて、人手が必要な介護や福祉に就職する若者がいないことに原因していることは事実です。また長い修業期間が必要な手工業では後継者が絶え、伝統工芸の分野から若者がいなくなり、ものつくりの世界が次々に消滅し、それが地方産業の衰微、過疎化へとつながっています。残った人たちは観光立地に頼り、本土や外国からの富裕な観光客が落とす金を当てにしています。

 沖縄や奄美においてその傾向は、政府か軍事基地建設の見返りに地方公共団体に支払う交付金によってさらにひどい状況になっています。沖縄の現状を憂い、平和で活力のある社会を目指す人たちが基地建設に身を張って反対している傍らで、基地による補助金や交付金に頼り、自分は働かないで安易に暮らす人たちが増えているのも事実です。沖縄で観光業以外に魅力的な職場がないことも、若者たちを基地建設反対運動から離脱させています。これではいくら翁長知事やその後継者が生命をかけて、基地に頼らない沖縄の将来図を描いて見せても、彼らは離れていくばかりです。本土から沖縄基地建設反対運動に参加する人たちも、単に現地でシュプレヒコールや座り込みに参画するだけでなく、このような沖縄の現状を見つめ、沖縄の人たちとの対話を通じて、彼らの友となり、ともに悲しみ、ともに憂うものでなければなりません。私も過去に幾度か沖縄を訪ねる機会がありましたが、ただ辺野古の現状を見るだけで、沖縄の人たちの心のひだに触れることに思い至らなかったことを反省しています。

 欧米に目を転ずると、アメリカの精神の退廃は、目を覆うばかりでした。1776年独立宣言において「我々は、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪い難い天賦の権利を付与され、その中に生命、自由及び幸福の追求の含まれることを信ずる。」と謳ったアメリカ人の後裔が、メキシコとの国境に壁を築き、イスラエルから壁で囲まれたパレスチナ・ガザ地区住民への食糧援助を停止し、地球温暖化防止パリ条約から離脱し、国内産業保護と称して高関税障壁を設け、保護貿易政策に固執しています。このような一国至上主義を非難する欧州の為政者たちも、国内の温暖化抑制のためのエネルギー源への増税に反対する市民の暴動や、移民政策を批判する国民の我欲に押され、政権維持が困難になっています。二次の大戦の荒廃からようやく欧州統合の夢が実現したのに、ヨーロッパ連合はイギリスの離脱宣言によって動揺しています。そのイギリスも北アイルランド国境問題でメイ首相の信任投票まで行われました。中東の紛争も、大国の思惑が交差して、収まる気配がありません。

 中東イスラム世界ではイラク戦争に続くIS掃討作戦で、アレッポ周辺の都市群は瓦礫と化し、かつてヤコブがラケルを求めて、ラバンの元へ旅したハランへの道は、今はトルコや欧州を目指す難民であふれています。地中海を渡る過程で多くの難民が死んでいることは悲惨の極みですが、我が国政府は傍観しているだけです。今月になってトランプ大統領はマティス国防長官の 反対を押し切ってシリヤからの米軍の撤退を決めましたが、かつてブッシュ大統領時代にありもしない大量破壊兵器の存在を理由にイラクに押し入った米軍は中東世界を混乱の極に放置したまま、無責任にも軍隊を引き揚げるというのです。イラク戦争が間違っていたというのなら判りますが、その反省の弁は聞こえてきません。

  北朝鮮との米朝首脳会談は、その後何の進展もないまま半年が過ぎてしまいました。6月のシンガポールでの会談は単なる政治ショウだったのでしょうか。今のトランプ政権にとって韓半島の非核化など、国内の上下両院中間選挙にとって、何の好材料にもならなかったようです。そのため日本人の多くが切望した拉致問題は安倍首相がトランプ大統領に解決を頼んだために、全く何の進展もないまま年を越してしまいました。その前に北朝鮮との間には、朝鮮戦争の終結という外交課題があるのに、それすらも放置されたままです。韓国と北朝鮮との間には、それ以上に重要な南北離散家族再会問題など重要課題が山積しているのに、日韓両政府は、目先の課題で対立したままで、韓半島の非核化という両国にとっての最大課題を見失っているのは悲しいことです。

  このように激動する国際情勢の中で、我が国政府は、防衛関係装備の国産化路線を修正し、米国から高価な兵器を大量に購入することによって貿易不均衡を緩和しようとしています。国家予算100兆円に占める防衛関係費は5兆円に達しています。これ以上の歳出は高齢化対策費35兆円ですが、これは高齢者が受け取る年金と介護保険料等国民の福祉に用いられるもので、振込めサギ等暗黒資金に流れない限り、高齢者の生活消費に向けられ、結果的に国の経済を潤すものです。しかし国防予算の主要部分は米国を含む軍需産業に流れ、国内の特需や軍需産業の雇用促進につながる部分はわずかです。軍需予算の、ここ10年間右肩上がりの上昇率は、迎撃ミサイルや最新鋭戦闘機F35、護衛艦の空母化、オスプレイ等の装備に充てられ、かつてアジア諸国を侵略した皇軍の攻撃兵器の再来を思わせます。防衛省は中国や北朝鮮からの核ミサイル攻撃に対処し専守防衛に徹するためだと称していますが、日本海側に集中している原子力発電施設を再稼働させながら、迎撃ミサイルを首都東京の周りに並べても、専守防衛には何の役にも立たないことは、国防関係者でなく素人でも容易に察しがつきます。防衛省は国民の安全保障など眼中になく、日本列島上空を超えてグアムやハワイ、米国本土に向かう大陸間弾道ミサイルを、全部でなくても撃ち落とすことができれば、条約の目的を果たしたと言うのでしょうか。ちなみに自衛隊の総指揮を執る「中央即応集団司令部」は2012年以来座間に駐在する米陸軍第一軍司令部と同居しており、極東有事の際は米軍の指揮下に入ることになります。これが独立国の「軍隊」なのでしょうか。

  いま国内は未曽有の好景気が続いているそうです。それはしかし、首都圏や京阪神の富裕層、大企業に就職したサラリーマンに限ったことで、契約社員、韓国、台湾、東南アジア諸国からの出稼ぎ労働者、また職場から遠ざけられた高齢者には無縁のことです。最近日本の自動車産業の会長が有価証券取引法違反の罪で拘束され、その報酬が10億円を超える額だったことが話題になっていますが、会長や取締役員の高額報酬が、海外の主要都市のマンション購入や個人的な金融投資に充てられていることは、企業人のモラル低下を証明しています。技術の高さを誇った企業が、ビジネススクール出身の経営者の食い物にされ、優秀な技術者が次々と会社を離れているのは、経済原理だとは言え悲しいことです。

  2019年はどのような年になるのでしょうか。昭和から平成にかけて、幾多の困難を乗り越えて、傘壽の幸せを掴んだ我等佐高八期生は、日本人の男子平均寿命81歳と同じ年を迎えます。女子の平均寿命は87歳だそうですから、同期生の半分はまだまだ元気で、孫やひ孫の顔を見て、喜びに溢れた余命を楽しむことが出来るでしょう。
 しかしこの80年の間に、私達の傍らで、多くの悲しみがあったことを忘れることができません。叔父の出征と戦死、学童疎開、東京大空襲、佐賀を含む中小都市爆撃、そして原爆、敗戦と戦後の食糧難、満州・朝鮮から引き揚げ者と「松原マーケット」、戦災孤児の路上死、私達と同じ年の子供たちが栄養失調や疫病でつぎつぎと死んで行きました。ようやく復興した杵島や唐津の石炭産業が、戦後の急激な機構改革の波にのまれて次々と閉山し,気が付いてみたら、郷里佐賀は戦後産業構造変革にも取り残され、神武景気、いざなぎ景気の余沢にも乗れず、全国で、島根県などと肩を並べる最貧乏県の一つになってしまいました。佐高八期生の大部分も、郷里から離れた京阪神、首都圏で奮闘努力した甲斐あって、ようやく傘壽の幸福をかみしめる歳になっても、地方出身者の常で、稼ぎの多くは都会地の高家賃に吸い取られ、バブル崩壊後は貧困高齢者集団の域に止まり、「ふるさと納税」する能力もなく、郷里佐賀に何の貢献もすることができません。このまま郷里に帰って、静かに老後を過ごす人もいますが、大部分は異郷に留まったまま、2019年を迎えるのです。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの  そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ泪ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや  遠きみやこにかへらばや  犀星
 

認識誤認 その2

 投稿者:山下 永二  投稿日:2018年10月28日(日)10時51分17秒
返信・引用 編集済
  10月11日 同窓会の時、会場に入ったら徳永君の姿を見たのでその隣席へ敢えて座った。握手した後徳永君は、これで終わりにしようと言ったので納得されたのだろうと思っていた。見解の相違についてここでは述べないが、認識の誤認は事実に照らして確認しましょう。
1 「押しつけ憲法」問題
徳永君が現憲法を称賛している見解には特に申し上げない。改憲を主張する憲法学者の中には「押しつけ憲法」という表現を使う人が多いが、私はあまり好きではない。国会で審議されたとはいえ、米軍の占領下の重圧の中でGHQ草案を基にして短期間に制定された事実は否めない。本来 独立後日本人によって策定し時間をかけてじっくり審議しておれば、今日のような難問を抱えることは避けられたであろう。
2 国の防衛は一つの脅威に対処するのでなく、あらゆる危機に対応しておくものです。
北朝鮮が、核・ミサイル開発の意図が、政権維持のため政治利用であろうと対米・韓国に向けの有事であろうと意図は変化する。また在日米軍基地のみならず日本にも直接向けられることも想定しなければならない。万が一日本の防衛に影響を及ぼすと考えられることには万全を期すのが防衛の務めです。
3 自衛隊の海外派遣は国連の平和維持活動と日米有事の安保条約と混同しなこと。
・ 「ガイドライン」とは、安保条約に基ずく防衛協力の具体的あり方を取り決めたものです。1978年に制定され、1997年に周辺事態が盛り込まれ、国際環境の変化に対処して2015年「新ガイドライン」として改正された。安保条約は有事を想定しており、平時から準備すべき支援活動も含まれていますが、あくまでも日米同盟の範囲内であり、平時において人的貢献する国連の平和維持活動とは異なります。法律も「周辺事態に際し我が国の平和と安全を確保するための措置に関する法律」が平成11年5月に制定された。武力侵攻に対する有事を想定したものです。
・ 2001年のインド洋派遣については前回解説したとおり。東ディモールへは、1999年、2002年、2010年と数回国連の平和維持活動としてPKO協力法によって派遣され、日米安保条約ではありません。法的根拠を確認しないで仮想解釈によると錯覚しますのでご注意を。
3 「戦争放棄」と「芦田修正」の解釈
「戦争放棄」は前回解説したとおり、侵略戦争放棄であり、自衛のための戦争放棄ではないという前提で話を進めます。
・ 第9条項の成立過程を見ますと、マックーサーノートの第2原則によってGHQ草案が策定され、侵略戦争も自衛戦争も放棄して日本の非武装化の意図を反映していたが、民政局憲法制定責任者 ケーディス大佐が国連憲章に固有の権利と認められている自衛権を拒否することはできないと自衛権を容認し文言を修正して草案を提示した。
又衆議院の憲法改正特別委員会委員長だった芦田氏は、2項冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を加えた。氏は1957年12月憲法調査会で「前項の目的を達するため」という辞句を挿入することで日本は無条件に武力を捨てるのではないということが明白でありますと明言した。GHQの上位に立つ極東委員会(11ヶ国)は、芦田修正によって自衛権を承認し、総理大臣及び閣僚は文民でなければならないという条項を求め第66条2項に文民規定が挿入された。
・ 問題は政府見解である。歴代内閣は、9条解釈を時代変化に応じて多少変えてきたが、警察予備隊、保安隊、自衛隊へと軍隊と同じ編成・装備を備えるまでに発展したにも拘らず軍ではないと吉田総理大臣の国会答弁をそのまま継承し明確な見解を示さないできたことが混乱の原因になっている。
・ 現在安倍首相の9条改正には、私も反対である。9条に3項を設け自衛軍を加えるというのは公明党への配慮であり、国民投票を見据えた政治判断だろうと思う。これだと解釈改憲はまだ続くでしょう。やはり、国の防衛のため正々堂々と小・中学生でも分かりやすく我が国の平和と独立を守る明確な条項にすべきだと思う。
 

認識誤認

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年10月23日(火)13時26分42秒
返信・引用 編集済
   今年の5月3日憲法記念日に私が本欄に寄せた感想に、山下永二君が反論を寄せたことから始まった憲法第9条及び第20条に関する議論は、途中石井幹事の介入もあり、これ以上の論議は佐高8期同期生の親睦を深めるという佐高ホームページ本来の趣旨にもとるものと思い、6月28日に私の方からエディット・ピアフのシャンソンの歌詞を挙げて、粋に逃げた積りでした。しかしそれから3ヵ月も経った10月7日になって、山下君が再度私の認識誤認を指摘して来られました。現役時代地裁や高裁の被告代理人席で使った「時期に遅れた攻撃防御の答弁」として看過しようとも思ったのですが、山下君の指摘に傾聴すべきものがあるので、弁明を兼ねて再度筆ならぬパソコンのキーボードを執ることにしました。

 憲法改正を論じる時、よく出る議論に「押しつけ憲法だから改正しなければならない」という主張です。確かに日本国憲法制定の過程で、マッカーサー占領軍司令部GHQの強い指示があり、民生局起草の憲法草案が幣原首相に提示されたことは事実ですが、その後第90帝国議会で数か月にわたって審議され、旧大日本国憲法の改正という手続きで現行憲法が制定されたことも、無視してはならぬ事実です。日本語として問題の多い「前文」や第9条戦争放棄条項も議会で審議され、後で議論になる「芦田修文」を含めて、僅か3か月という短期間で今日見る憲法案が成立しており、金森徳次郎氏を含め先人達の努力を忘れてはなりません。1946年10月7日衆議院本会議で吉田茂首相は「本案は三箇月有餘に亙り、衆議院及び貴族院の熱心愼重なる審議を經まして、適切なる修正をも加へられ、ここに新日本建設の礎たるべき憲法改正案の確定を見るに至りましたことは、國民諸君と共に洵に欣びに堪へない所であります。」と所信表明しています。
 私から言わせれば「右翼」の人たちは、しばしばGHQの強制だけを強調して「押しつけ憲法論」を展開しますが、敗戦直後の様々な制約の中で、幣原、吉田、金森氏ら先人達の新憲法制定への努力と成果を無視することは、憲政史に対する冒涜ではないでしょうか。山下君は憲法制定時に議会の審議があったことに触れておられますから、右翼の輩ではなく「正論」の人だと評価しています。

 北朝鮮の核ミサイル開発の意図は、本当に核戦争を準備するものか、核抑止力を持って、国際外交の舞台でアメリカと対等に立つことを意図したものなのか、私にもよく判りません。先のシンガポールでの米朝首脳会談を見れば、後者のようにも思えますが、65年前、金正恩の祖父金日成がソ連製の武器を以て38度線を突破して朝鮮半島統一を意図した戦争に打って出たことも事実です。国際社会での孤立を抜け出すために、核兵器を用いた戦争に賭けることもあるでしょう。その時真先に犠牲になるのは韓国であり、日本ではないでしょうか。我が国は北朝鮮からの核ミサイル攻撃に対処するために、防衛費を増額し、有事に備えているのではないでしょうか。これこそ元自衛官の山下君にお尋ねしたいところです。

 「自衛隊の海外派遣は日米安保条約によらない」という山下君の説示には、驚いています。改めて条約本文を読み直しましたが、確かに山下君が仰るように、条約本文に自衛隊の海外派遣を促すような条文はありません。しかし2002年インド洋、東チモール等への2000人を超す陸海空自衛官の派遣は、元々1996年クリントン米大統領と橋本竜太郎首相との首脳会談で「日米安保保障共同宣言―21世紀に向けての同盟」が発表され、それまでの日米安保条約で定められていた条約区域が、「新ガイドライン」によって「極東」から「日本周辺における事態=周辺事態」と日米共同行動の範囲が拡げられたことによって、はじめて可能になったという事実を見逃してはなりません。その後国会で自衛隊の海外派遣は日米安保条約の枠を超えるのではないかという質問に対し、政府側答弁は日米安保条約は国連憲章及び日本国憲法の枠内にあり違法ではないといい、同時に1999年「周辺事態法」成立により、新ガイドラインに盛られた自衛隊の対米支援活動が規定されたのです。私が6月26日の所論で「日本政府が採ってきた対策は、日米安保条約に基いて自衛隊を海外派遣することに腐心した」と述べたのは、日米安保条約に付随する「新ガイドライン」及び「周辺事態法」制定に関して言ったもので、認識誤認ではありません。むしろ海外派遣の自衛隊員が薄青色のベレー帽をかぶって、国連軍のような恰好をするのがおかしくてなりません。確かに山下君が言うように、自衛隊の海外派遣は国連憲章に基づくPKO活動に違いありませんが、その背後には米国政府及び米軍事顧問団による派遣要請があることを忘れてはなりません。

 最後に「戦争放棄」と「自衛軍」は共存するかしないか、の議論になりますが、
1946年日本国憲法制定当時、第9条を定めた時には、「自衛軍」の存在は否定されていたことは、第90回帝国議会での議事録で明らかです。この時政府原案が、特に前文及び第9条1,2項について判りづらいという意見が出て、国民が日本語として正しく読めるような修文がなされました。その際、第9条2項に「前項の目的を達するため」という後に「芦田修文」と呼ばれる文章が入ったのですが、当時の議事録及び芦田均議員の日記等から、単なる日本語の修文で、後で主張されるような「第9条1項は、自衛権の行使まで否定していない」から自衛隊は合憲だ、としたものではないと解釈されます。ましてや「自衛軍」が第9条1項とは相いれない存在で、安倍首相が新憲法に現行憲法第9条1項の条文をそのまま残し、第2項に「国防軍」を明記すると仰っていることが、どうしても納得できません。憲法改正で「国防軍」を明記されるなら、現行憲法第9条第1項「戦争放棄」は放棄すべきだと考えるのが「正論」ではないでしょうか。
 

[教育勅語」について

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年10月 9日(火)09時29分34秒
返信・引用 編集済
   先日第四次安倍改造内閣で初入閣した柴山昌彦文部科学大臣が初閣議後の記者会見で、教育勅語の文言には、父母に孝行、兄弟に友に、夫婦相和し等、我々も守るべき徳目があるから、学校の道徳教育の場でこれらを参考にしたい、と発言したことが話題になっています。
 以前この掲示板で内村鑑三不敬事件を採りあげた時、その原因となった「教育勅語」がどのようなものであったか精査していなかったので、改めてこの「教育勅語」全文315字を精読し、柴山大臣の発言意図を考察してみることにしました。
 「教育勅語」は1890年(明治23年)山県有朋内閣の下で発議され、数人の起草の後、内閣法制局長官井上毅が執筆したものが採用され、同年10月30日勅語として発布されたものです。この勅語は明治期に創出された「臣民」の概念、すなわち一君万民思想の平等主義に特徴づけられています。歴代天皇が国家と道徳を確立した、と語りはじめ、12の徳目を挙げ、これを守るのが臣民の伝統であるとする、これらが歴代天皇が遺した教えと位置づけ、明治天皇自らが臣民とともに守るように努力したいと誓って締めくくっています。
 日本の民衆はこの教育勅語の結語「朕爾臣民ト倶二 拳拳服膺シテ 威其徳ヲ一二センコトヲ庶幾フ」に、天皇と臣民が一体となる、一種のユートピアを見て、これを支持してきました。
  当時の総理大臣山県有朋が、教育勅語に当初目論んだ、軍人の天皇に対する忠誠は、ここでは謳われていません。政府や軍部の間には、この「教育勅語」だけでは不完全だとして、忠君愛国を謳うもの、また逆に、西園寺公望のように国際社会における日本の立場を強調するものを、教育の場で広めたいとするものなどが提案されましたが、実現に至らず、この「教育勅語」を元に、井上哲次郎の「勅語衍義」(1891年)、「國體の本義」(1937年)と、天皇現人神説の強化と国民への指導の強制が進み、昭和期の満州建国、支那事変、アジア太平洋戦争へと突き進む、国民指導要綱とされてしまったのです。
 柴山文部科学大臣は、この「教育勅語」の内容だけでなく、「教育勅語」がたどった歴史を踏まえて、今教育の現場で「教育勅語」を参照したいと言われているのでしょうか。
 

認 識 誤 認

 投稿者:山下 永二  投稿日:2018年10月 7日(日)11時50分16秒
返信・引用 編集済
  政治の世界では、事実・認識誤認や歪曲、曲解、捏造等が平然として行われているので、注意しなければならない。ある事実を事実確認したり、歴史的検証を試み真実を探求することが必然だと思っており、嘘やごまかし等に騙されないように心がけています。私は、右翼ではありません。強いて言えば、正論派でしょうか。
徳永君の意見陳述に認識誤認が散見される。「世界認識を持とう、憲法9条」から疑問に思われる事項について事実確認したい。
1 核抑止に関する認識誤認
核抑止には、核戦争抑止と核兵器の使用抑止がある。
・ 北朝鮮の核・ミサイル開発の意図は
北朝鮮の核・ミサイル開発と米国の関係を核戦争の一触即発の危機という認識のようだが、北朝鮮の場合は、核兵器の使用抑止である。金正恩委員長は、体制維持のため米国に対する核抑止を図り、核とミサイル開発を推進し、米国と直接対話を追求し政治利用したことが明らかになった。北朝鮮は、人口2,4千万、GDPが3兆1千億(鳥取県位)しかない国が百万の軍隊を持ち国民は貧窮に苦しむ中で軍事費の67%を注ぎ込んで核とミサイル開発することは、独裁国家だからできることで、6ケ国協議も避け米国との対話だけに活路を見出し体制の窮地を脱することに心中を注いだ。これからは、朝鮮半島の非核化と米国の中間選挙と絡まってトランプ大統領と駆け引きが行なわれるだろう。
・ キューバ危機が核戦争抑止の始まり
1962年キューバのソ連のミサイル配置に抗議した米国がキューバを海上封鎖し、米ソの核戦争の危機を招いた。最終的に、米国ケネディ大統領とソ連フルシチョフ首相の直接交渉でソ連はキューバからミサイルを撤去し、13日間の核戦争危機は回避された。これ以来、米ソは核戦争抑止のため、ホットラインを結び、幾多の核開発競争を重ね、最終的に米ソが核報復能力を保有し核均衡を保つことにより相互抑止ができるという「相互確認破壊」の核戦略の考え方に落ち着いた。又同盟国又は第三国に対する核攻撃を抑止する「拡大抑止」つまり「核の傘」は非核保有国にとって安全保障上欠かせない抑止になっている。現在イランやイスラエルの核問題が取りざたされているが、WWⅡ後70有余年の間 核戦争が起こっていないことは事実として認めなけねばならない。
2 自衛隊の海外派遣は日米同盟によるか?
政府が日米安保条約によって、自衛隊を海外派遣している認識は誤認である。湾岸戦争のトラウマから、国連の平和維持活動に人的貢献するため、幾多の変遷をえて自衛隊海外派遣の法律が整備された。「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」がそれであり、その第3条に「国際連合の総会又は安全保障理事会が行う決議に基づいて…」と規定されている。米国が主体となっていることが多いので、誤解を受けやすいが、米国だって国連を無視して海外派兵をすることはできない。外国の軍隊やPKOが平和維持活動のためには、安保理の決議と領域国との地位協定に合意を得ることが国際法上必要である。
・ アフガンのテロ紛争には、国連全加盟国189ヶ国の全会一致で採択され、安保理決議1368に基づいて2001年10月米国主体とする英、仏、独、加国等11ヶ国がテロ攻撃に参加した。日本は、集団的自衛権の行使を根拠にテロ特措法が成立し、海自をインド洋へ派遣し11ヶ国軍の艦艇に給油支援と難民救済活動を行った。2010年民主党鳩山内閣の時 時限失効により海自は撤退した。
3 憲法「前文」の認識
・ まず「前文」は4段に分けられている。第1段は憲法成立の事実と方法を宣言し、憲法の目的や基本原理を概括的に示す。第2段は戦争の放棄と軍備の放棄の理由を示し、「平和を愛する諸国民の公正と信義に委ねる」とする。第3段は国際協調主義が謳われている。第4段は崇高な理想と目的の実現に向かって決意と誓いを宣言している。
・ この前文は、米国合衆国憲法、リンカーン演説、マッカーサー・ノート、大西洋憲章、米国独立宣言から一部引用された継ぎ合わせだといわれている。憲法専門家がいないGHQ民政局で僅か9日間で草案を作成したというから米国式前文になった。日本の歴史、伝統、文化等日本の価値観を表現する余裕も能力も無かっただろう。
4 「戦争放棄」の認識
・ 問題は第2段の「戦争放棄」である。「戦争放棄」は、1928年「パリ不戦条約」に国際紛争解決のための戦争を放棄するとされ、それは侵略戦争の放棄であって、自衛の戦争ではないと当時の米ケロック国務長官と仏ブリアン外相が明言した。1899年「ハーグ条約」、国連憲章等にも盛り込まれている。又日本以外にイタリア、ドイツ、韓国等諸外国の憲法に戦争放棄を規定している。
・ マッカーサー・ノート三原則の2項戦争放棄から、マ占領軍司令官が最初日本の非武装化を意図し、国の自衛権も放棄する空想的平和主義を掲げた。それが第9条の戦力の不保持に連結している。従って無防備の国は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に委ねる」の他力本願による防衛を表現した。国際社会の善意によって国の平和と安全を守ることは非現実的であり不可能である。民政局と日本側の審議の過程をえて、マ司令官は日本の自衛権を容認すことに変更した。最終的に芦田修正によって、第9条2項に「前項の目的を達成するため」という文言が挿入されて、日本国の自衛権が認められた。国連憲章第51条にも「個別的又は集団的自衛権は、国の固有の権利である」と規定されている。日本周辺の諸国民をみると、ロシアと北方四島、韓国と竹島、中国と尖閣諸島の領土問題、北朝鮮の拉致問題、中韓の反日運動等公正と信義を委ねる情勢ではない。国の防衛は、自力で守ることが基本である。憲法に理想と現実が乖離している文言を掲げる必要はない。
5 「戦争放棄」と「自衛軍」は共存しないか?
自衛権が容認されて、自衛隊という武力集団が誕生した。自衛隊は他国では軍とみなされ、国内では軍と同じ編成・装備をしながら軍ではないという中途半端で法律上任務遂行に支障をきたすことが多い。「自衛軍」にした方が明確である。

 

8月15日に想う

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年 8月15日(水)17時50分4秒
返信・引用
   今日73回目の終戦記念日、未明4時に起床し、自転車を駆って3km先の長津田駅に急ぐ。5時05分始発渋谷行電車をつかまえ、6時半には皇居北西の千鳥ヶ淵墓苑に到着、警備中の警官に誰何されたが、7時からのキリスト者の集会に参加すると告げて、墓苑内に入った。
 千鳥ヶ淵墓苑は過去のアジア太平洋戦争で戦死した日本兵士、軍属の遺骨で、戦後遺族に引き取られなかったものを集め埋葬した、無名戦士の墓である。私の叔父德永萬六は帝国陸軍中尉、33歳で中支戦線で戦死し、遺骨は叔母に引き取られ、佐賀の西林寺德永家墓所に葬られており、名誉の戦死者として靖国神社の霊爾簿に記帳されているが、私はむしろ千鳥ヶ淵墓苑の無名戦士の墓の前に拝跪することで、叔父や彼と共に従軍して還らなかった兵士たちの面影を偲ぶことにしている。

 日中戦争は1937年北京郊外盧溝橋での日中両軍の小ぜり合いに始まり、帝国陸軍は「支那軍を膺懲する」と称して華北から中支へと戦線を急拡大、準備が整わない内の大規模作戦となったので、殆どの物資は現地調達に頼ったという。特に首都南京に迫る部隊は、糧食を強奪同様に挑発して進軍したという。四方から南京に殺到した皇軍部隊が、作戦中に捕縛した中国軍兵士、投降してきた南京市民をどのように扱ったか、想像するだに怖ろしいことである。当時外務省欧亜局長だった石射猪太郎は翌年1月6日の日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。略奪・強姦、目も当てられぬ惨状とある。嗚呼、これが皇軍か」と記している。当時国内では「南京陥落、皇軍大勝利」とちょうちん行列が続く祝賀ムードだったが、詳細な報告は中央にも伝えられていたのだ。

 南京陥落後凱旋将軍として入城した松井石根大将は、戦後極東軍事裁判でA級戦犯として訴追され処刑されたが、最近昭和殉難者の一人として、靖国神社に合祀された。私は叔父萬六が皇軍中尉として兵士と共にどのように戦ったかを知らないが、せめて南京事件での「東洋鬼」でなかったことを、祈るのみである。叔父の遺影を求めて靖国神社にも行きたいが、彼らの上官松井石根司令官殿に会いたいとは、決して思わない。

 極東軍事裁判に関しては、様々な評価がなされているが、少なくとも実際に起こった「南京事件」については、日中双方関係者が存命中に正確かつ詳細な歴史的検証をしてもらいたいと思う。それが日中戦争で戦死した叔父に対する、慰霊の道であると思っている。
 

世界の事なんか、私は知らない

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年 6月28日(木)10時02分53秒
返信・引用 編集済
   6月27日付けの、石井君の「私の言う世界認識とは」を頂いて、私はとっさにエディット・ピアフが唄う「愛の賛歌」の1節を思いだしました。

 青い空が落ちてきても、      この大地が崩れても

 あなたに愛されていればかまわない 世界のことなんか私は知らない。 訳詞:Key

 5月3日憲法記念日に私が感想をこの掲示板に掲載して以来、山下永二君との間で交わされた憲法議論は、以前にも石井君から注意されたことがあったのですが、佐高ホームページの開設趣旨をいささか踏み越えた、儒者の論争だったように思い、反省しています。そこに佐高八期生同士の友愛があれば、齢八十になっても嘴の青い「元サヨク」と、根っからの右翼との水掛け論争にならずに済んだはずです。それでも小生の愚論に辛抱強く付き合ってくださった山下君と石井幹事に感謝の意を述べて、拙文の終わりとします。

 それにしても、エディット・ピアフが唄う「愛の賛歌」は物悲しくて、心に滲みますね。大学での第2外国語はフランス語を選択すべきだった、と60年後の今になっても悔やんでいます。  (2018年6月28日)
 

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