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世界の事なんか、私は知らない

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年 6月28日(木)10時02分53秒
返信・引用 編集済
   6月27日付けの、石井君の「私の言う世界認識とは」を頂いて、私はとっさにエディット・ピアフが唄う「愛の賛歌」の1節を思いだしました。

 青い空が落ちてきても、      この大地が崩れても

 あなたに愛されていればかまわない 世界のことなんか私は知らない。 訳詞:Key

 5月3日憲法記念日に私が感想をこの掲示板に掲載して以来、山下永二君との間で交わされた憲法議論は、以前にも石井君から注意されたことがあったのですが、佐高ホームページの開設趣旨をいささか踏み越えた、儒者の論争だったように思い、反省しています。そこに佐高八期生同士の友愛があれば、齢八十になっても嘴の青い「元サヨク」と、根っからの右翼との水掛け論争にならずに済んだはずです。それでも小生の愚論に辛抱強く付き合ってくださった山下君と石井幹事に感謝の意を述べて、拙文の終わりとします。

 それにしても、エディット・ピアフが唄う「愛の賛歌」は物悲しくて、心に滲みますね。大学での第2外国語はフランス語を選択すべきだった、と60年後の今になっても悔やんでいます。  (2018年6月28日)
 
 

私のいう「世界認識」とは

 投稿者:石井ト  投稿日:2018年 6月27日(水)10時00分10秒
返信・引用 編集済
  (要旨)
私のいう「世界認識」とはどういうことかを書きました。
その過程で、先日(6月26日)、徳永君の投げかけた「世界認識」に反論しています。

(本文:私のいう「世界認識」とは)
徳永君の書き込み、長いので、細かいところまで読み込んでません。
本当は、「要旨」を書いていただければ、何か言いたいのか端的に分かるのですが、それが無いので、失礼ながら最後の数行に注目して、意見を書き込ませていただきます。

(1)抜粋
6月26日付の徳永君の書き込み(最後の数行の部分)によると、
「このような運動に呼応して、世界に向けて日本の宝「憲法第9条」を発信していくことこそ、石井君が提唱される「世界認識」の一つではないでしょうか。」
とのことですが、これはそのような運動事件が起きているということに過ぎないと思います。即ち、私のいう世界認識とは違います。

(2)私のいう「世界認識」とは
わたしが言う世界認識とは、もっと掘り下げたもの。即ち、例えば運動事件という事実に普遍性があるかどうか地球的な規模まで掘り下げたもの(「普遍的事実」とでも呼びましょう。)を言います。
この際、普遍性という意味は、それが世界的に通用するか、ということ。
別な言葉でいえば、「それでやっていけるの?」ということです。
そりゃ、誰だって理想は掲げたいですよ。でも、だからと言ってそれで継続的にやっていけるとは限らないでしょう。
それが現実です。
現実を無視して理想だけ掲げ、あたかも普遍性があるかのように声高に叫ぶのは無責任というもの。
一方、現実だけを取り上げ、理想を喪失するのも無責任。
中庸が理想かもしれませんがここでは触れません。

(3)結語
要は、「現実を見つめて生存し続けながら理想を目指す」ということです。
その内の前半「現実を見つめて生存し続けながら」を可能にする世界認識が私いう世界認識です。
後半の「理想世界を目指す」と言うのは、私のいう世界認識ではありません。目標でしょう。
だから、世界認識とは理想世界実現の礎であるべきものです。何しろ生き延びないと絵に描いた餅ですから。
確実な平和実現の手段は、人類がいなくなること。でも、それでは平和の意味がありません。平和、そして誰もいなくなった、ではね。
だから、生き続けるということが、絶対条件というわけです。そのためには、リスキーな方法は採れません。

(4)付言
現実と理想を認め、その上で、現実と理想を分けて考える必要があると思います。
さもないと、悲劇となるでしょう。
突き詰めれば、人間とは一つの個体の中に清濁併せ持つ存在、と言うことに行きつくのではないでしょうか。
清人しかいないという世界認識では危ない。
だから、清濁併せ持つ存在という世界認識が現実的、となるわけです。
 

世界認識を持とう、憲法第9条

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年 6月26日(火)20時20分38秒
返信・引用 編集済
   6月17日の本欄で、石井君が「世界認識を持て」と呼びかけられたので、私もその線に沿って、我が国の憲法改正問題を考えてみようと思います。
 まず山下君が6月10日の投稿で「核兵器が出現してから、第一次及び第二次世界大戦のような総力戦は抑制されたが、宗教や民族が対立する戦争や地域紛争等は絶えない。また対テロ戦争、対サイバー戦等従来にない軍事行動が余儀なくされている。」という認識は、最近の北朝鮮による核ミサイル開発を阻止しようとした国連安保理決議と国際的圧力強化に関しては,正確とは言えません。核兵器による全面戦争は、若し北朝鮮かアメリカの政権担当者が、その気になればすぐに始められる程危機的な状況にあったはずです。事実、1950年の朝鮮戦争以来、北朝鮮とアメリカ、そして西欧諸国はプエブロ号事件、国際原子力機構IAEAによる査察を拒否した北朝鮮の核開発、金正恩になってからの核ミサイル実験を経て、一触即発の危機的状況にあったのです。アメリカは米韓軍事演習、日本海への原子力空母の派遣等軍事的圧力を北朝鮮に対して加えてきましたが、日本の自衛隊が集団的自衛権の行使として、舞鶴や佐世保から海上自衛艦を出動させ、臨戦態勢にあったという事実はありません。日本は経済的圧力を加えたと称していますが、元より対北朝鮮貿易はなきに等しかったので、どれだけの圧力になったのか疑問です。

 この北朝鮮問題は、6月の米朝首脳会談の実現で、解決の方向に向かっていることは、喜ばしいことです。あの自国中心主義を隠そうともしないトランプ大統領が、シンガポールまで出かけて行って金委員長と握手し、帰国しても会談は大成功だったと言っている限り、世界は核戦争の危機を一先ず脱却し、韓半島の非核化が実現すれば、両国の軍備はもはや不要なものとなります。それこそ「紛争の解決手段としての戦争」は、一先ず回避されたことになるのです。
米朝会談前、日本の安倍首相はトランプ大統領に対して、拉致問題を金委員長に伝えるよう懇願したそうですが、今後は日朝首脳会談でこそ、その問題は提起されるべきでしょう。残念ながら日朝首脳会談の日程さえまだ決まっておりません。16年前の小泉首相と外務省田中補佐官の蛮勇を、安倍首相と日本政府に期待したいものです。

 山下君が問題にしておられる「宗教や民族が対立する戦争や地域紛争、対テロ戦争、対サイバー戦等従来にない軍事行動」も無視することはできません。2001年9月11日ニューヨークの世界貿易センタ―ビルが、アラブ系の青年に乗っ取られた旅客機によって崩壊した事件は、以前私がカナダ駐在時に訪ね、102階展望階まで上がってマンハッタンの光景を楽しんでいただけに、衝撃的でした。これはサウジの富豪ビン・ラディンが欧州留学の経験のあるアラブ青年に示唆して、航空機によるテロを敢行させた事件として全世界を震撼させましたが、その時のブッシュ大統領は、同時多発テロの数日後に「反テロ対策法」を成立させ、CIAを強化して国内のアラブ系住民を監視下に置く措置を取りました。また国内のタカ派は「アフガニスタン、イラク、イラン、シリア、スーダンのようなテロリスト支援国家は行政的に統治するべきだ。」と呼号しました。既に1996年ハーバード大学教授で国際政治学者のS・ハンチントンが「文明の衝突」の中で、西欧社会とアラブ文明とは、植民地時代からの対立が顕在化し、1991年の湾岸戦争から「世界戦争」が始まった、と主張していたので、ブッシュ大統領はこの路線に乗って、イスラム社会が発信するテロに対して「戦争」を宣言しました。

 同時多テロの首謀者と目されるビン・ラディンはアメリカの同盟国サウジ・アラビアの人ですが、米軍がイスラム教の聖地であるメッカのあるサウジに駐留していることがアラーの神に対する冒涜だと主張していました。これを無視して駐留を続けたことが、同時多発テロの引き金になったと言われています。イラン革命の後、ハターミ大統領はパーレビ前国王の後見者だったアメリカに対して、「文明の対話」を呼びかけたのですが、権益を奪われたアメリカやイギリスは聞く耳を持たず、結果的に「文明の衝突」を激化させ、イラク戦争へと突き進み、「アルカイダ」、「IS」と次々にテロ集団を生み出し、米軍との間の戦闘で、中近東社会は未曽有の混乱状態に陥って行き、数百万の無辜の市民が、高性能爆弾や劣化ウラン弾からなる超近代兵器の犠牲になって行ったのです。「目には目を」という古代ハムラビ法典さへ無視したアメリカの過剰報復戦争は、私達日本人には広島、長崎の悪夢を思い出させます。自国民の犠牲者は名前を石碑に刻んで哀悼するのに、「敵」の戦死者はその数倍いても顧みようとしない、これがアメリカ人の「正義」なのです。

 2001年アフガニスタン空爆がはじまり、日本ではそれまでの政府見解を180度転換して集団的自衛権を容認する「テロ特措法」等三法が成立し、海上自衛隊がインド洋に派遣され、米第7艦隊の後方支援が始まりました。2003年イラク戦争、陸上自衛隊のイラク・サマーワ派遣、航空自衛隊の空輸作戦等が続いていることは、国民周知のことです。最初は「ない」といいながら最近出てきた「派遣部隊日誌」によれば、銃弾が飛び交う現地で1人の犠牲者も出さなかったことが不思議な程です。

 この間日本政府が採ってきた対策は、日米安全保障条約に基いて、自衛隊を海外派兵することに腐心した様子ですが、たとえ同盟関係にあっても、対イラク戦争には、もっと違った対応をしても良かったのではないでしょうか。「同じ価値観を共有する国と集団安全保障同盟を組んで侵略国に対して防衛に隙を与えない抑止力を高める必要がある」という山下君の見解には一理あるとしても、アフガニスタン問題、イラク問題に関して日米両国民が同じ価値観を持ってもいないし、ましてや日本はアフガニスタン、イラクから攻撃されているわけでもありません。アメリカはイスラム教社会を目の敵にしていますが、日本人はイスラム教には寛容です。防衛に隙のない抑止力を高める必要は、北朝鮮に対してならともかく、アフガニスタン、イラクに対しては全くなかったのです。「国際貢献」は、アメリカのためにあるのではないのです。
これに反し、日本政府は先の湾岸戦争の時に、海部内閣が戦費は出すが人を出さない「一国平和主義」だと非難されたのに懲りて、いち早く対米追従を決めたのは、愚かの極みだったとしか言いようがありません。「我が国が直接攻撃されていないにもかかわらず、他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条の下で許容される実力の行使の範囲を超える」というそれまでの政府見解を、全く反故にしてしまう行為だったからです。

 2004年フセインが捕えられイラク戦争が終結しても、アメリカが主張した大量破壊兵器は出てきませんでした。フセインは核兵器開発をとうの昔に放棄していたのです。残されたのは戦火を生き延びたイラクの人たちの、反米、反日感情だけだったことが、その後ISによる日本人拉致、殺害事件が相次いだことでも証明できます。日本人は戦後50年アラブ社会で働いた商社マンや技術者、JAICA派遣員、JETRO職員等、またアラブに好意的な日本人旅行者達が築いたアラブ諸国との友好関係、アラブの人たちが日本人に寄せる好感を、アメリカ一辺倒になることによって、失ってしまったのです。

 憲法改正問題に関していえば、2005年、当時野党だった自民党の新憲法起草委員会が発表した「新憲法草案」が検証の対象になると思われます。まず目につくのは、現行憲法の前文にあった「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、我らの安全と生存を保持しようと決意した。」が消去され、「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。」と、いろいろな「主義」が並列的に網羅され,起草者は一体どんな「主義」なのか戸惑うばかりです。さらに第9条は
「平和主義」と称して「戦争放棄」を謳いながら、新設された9条の2では、「自衛軍を保持する。」と明記され、この自衛軍は戦争をしない、戦争してはいけないのではないか、という極めて単純な疑問が湧いてきます。この2項には「第1項の規定による任務を遂行するための活動を行う」とあり、また3項には「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命もしくは自由を守るための活動を行う」とあるので、これらの「活動」が自衛軍の本務だと解釈されます。そうすれば集団的自衛権を協同している他国軍が「これは対テロ戦争だ」と言っても、「いや、これは対テロ活動です」と言い替えて済ませるのでしょうか。それこそ自民党の人たちが「サヨク」に向かって「一国平和主義だ」と嘲笑してきた言葉が、自分に帰るのではないのでしょうか。第9条「戦争放棄」と9条の2「自衛軍」は共存することはできません。

 ではなぜ新憲法草案は、現行憲法第9条の「戦争放棄」を消去してしまうことが出来ないのでしょうか。それが原爆を含む戦争の惨禍を体験した国民が、たとえ軍国日本の再興を怖れたGHQの押し付けであったとしても、憲法第9条「戦争放棄」は1946年当時の日本人に歓迎され、その思いは現代の日本人の心に受け継がれ、深く根付いているからなのです。うがった見方をすれば、自民党議員もこれを取り除いて「自衛軍」だけを新憲法第9条「安全保障」に謳っても、国民投票で過半数の賛成は得られそうにないから、あえて「戦争放棄」条項を残したのではないか、とさえ言えます。これが矛盾をはらんだ憲法草案であることは、「自衛隊」ならまだしも、「自衛軍」というからには、国際的紛争の解決手段としての「戦争」も、選択肢の一つであることは当然のことだからです。

 かつて名古屋の中部大学で教鞭をとったチャールス・オーバービーというアメリカ人が日本国憲法第9条を読んで、これは世界中の人たちが知るべき「宝」だと、1991年彼がかつて奉職したオハイオ大学の教授たちと語らって、「9条の会」を創設し、日本を含む世界各地で講演して廻ったことがあります。彼が1950年朝鮮戦争にB29パイロットとして従軍し、在郷軍人会のメンバーでもあったので、その反響は大きく、我が国でも「地球憲法第9条」國弘正雄夫訳2005年(翔竹林書房)が刊行され、国内の「9条の会」の広がりに貢献しています。彼は自国の政府が日本に改憲を迫り、アメリカの軍隊が自由に自衛隊を使っている現状を憂いて、日本人に対して、今こそ日本国憲法第9条を取り戻せ、それを日本の誇るべき宝として、世界に向けて呼びかけよ、と言っています。このような運動に呼応して、世界に向けて日本の宝「憲法第9条」を発信していくことこそ、石井君が提唱される「世界認識」の一つではないでしょうか。       (2018年6月26日)

 

憲法問題と世界認識・自己認識

 投稿者:石井ト  投稿日:2018年 6月17日(日)12時09分16秒
返信・引用 編集済
  (要旨)
小生は、憲法改正の問題の根本は、世界認識の相違にあると思う。
住む世界は一つなのに、あたかも別の世界が存在するかのような議論がなされているように思われる。
だから、その認識が共有できたら、後はその認識に対する対応策の問題に集約できるはず。
今、騒いでいるのは、その認識を欠いたままその下流でもめてるのだと思う。
世界認識さへ共有出来たら自ずと答えは出るはずだ。
このような視点から考えてみて、私は山下君の世界認識に賛成だ。対応策にも賛成だ。
その上、小生としては、自己認識という視点からの考察が必要であることを付け加えて、
以下、憲法問題解決のスキームを提案するものである。
(要旨終わり)

(本文:憲法問題解決スキームの提案)
1.世界認識(山下君の6月10日の書き込み文の最後の数行から抜粋)
核兵器が出現してから、第一次及び第二次世界大戦のような総力戦は抑制されたが、宗教や民族が対立する戦争や地域紛争等は絶えない。
また対テロ戦争、対サイバー戦等従来にない軍事行動が余儀なくされている。
「一国平和主義」は通用しない。

2.対応策(山下君の6月10日の書き込み文の最後の数行から抜粋)
このために、同じ価値観を共有する国と集団安全保障同盟を組んで侵略国に対して防衛に隙を与えない抑止力を高める必要がある。
集団的自衛権行使容認は、日米安保条約の隙間を補完したものです。
いざという時の戦力は保持しておかなければならないことは言うまでもない。

3.具体策(加入:上記2を受けて)
自衛戦力を保持する
日米安保条約を維持する
集団的自衛権を認める
・・・

4.文書化(加入:上記3を受けて)

憲法
法律
条約
・・・

5.運用(加入:上記4を受けて)
教育
訓練
外交
情報
・・・

6.自己認識(加入:世界認識だけでは不十分。自分のことを知らないといけない。)
果たして我々は十分に知性的だろうか、自己分析が必要だと思う。
知性的とは熟慮できるかできないかと言うことである。前の大戦の反省から自己認識の究明と共有は欠かせないことだと思う。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」である。
ここに至って紀元前500年ごろの中国春秋時代に生きた孫子の兵法に行きつくとは、我ながら意外だ。学校では習ったが、身についてなかったのである。

数日前、シンガポールでの米朝首脳会談を控えた5月31日、ロシアのラブロフ外相が北朝鮮を訪問したときのテレビ映像で、彼は北朝鮮の要人に言った。「ここは十分に熟慮すべきだ。」と。
小生、思ったものだ、成程、ロシアはこのようにして過去数百年の歴史を刻んできたのかと。

我々は、憲法問題を解決できたとしても、知性的であらねばならない。
そのためには、自己認識を共有し知性教育を行うべきである。
国を護るためには欠かせないと思う。

昔、そう、30年も前だったろうか、徳永君が言った。わが国は太平洋戦争の総括をしていないと。
小生、そのときは、そんな必要はないと答えたが、あれは間違いだった。
総括とは、即ち、自己認識だと気付いたからだ。
遅れてると言えば遅れているが、改むるに憚ること勿れである。気づかないよりいいだろう。


 

てすと

 投稿者:石井ト  投稿日:2018年 6月16日(土)21時02分6秒
返信・引用
  スマホから書き込み  

ウソから出たまこと

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年 6月14日(木)17時01分45秒
返信・引用 編集済
   今年5月3日憲法記念日に、本掲示板に寄せた拙文から始まって、山下永二君との間で、憲法第9条「戦争放棄」と同第20条「信教の自由」とを巡って、憲法制定の過程を含めていくつかの検証がなされました。特に6月10日付けの山下君の論文は、1946年日本国憲法制定の過程で連合軍最高司令部(GHQ)が憲法草案作成に深く関与した事実を詳しく検証され、第9条「戦争放棄」がこれらGHQ主導で進められ、当時の政治状況から日本政府は仕方なくこれを受託したのだ、と述べておられました。その後東西冷戦の激化に伴い、1950年朝鮮戦争勃発を契機にGHQマッカーサー元帥は日本政府吉田茂首相に対し、憲法前文及び第9条の立法趣旨とは異なる警察予備隊の設置すなわち再軍備を要求し、吉田茂首相はこれを容れて陸上部隊7万5千人からなる「国家警察予備隊」を発足させています。その時にGHQが作成した「警察予備隊創設計画」は、憲法第9条と矛盾しないよう、再軍備は秘密裏に行え、と指令しています。これが戦後70年まで延々と続く「押しつけ憲法」「押しつけ再軍備」の発端なのです。

 さすがに7万5千人の「特別公務員」を募集し、武器を装備する話なので、国会で当然議論になり、野党が憲法違反を呼号する中で、政府与党側からは9条は自衛権を放棄したものではないという「芦田解釈」、警察予備隊-保安隊-自衛隊は9条に言う「戦力」ではない、等という苦しい答弁が繰り返されてきました。当時中学生だった私も、大人たちが揶揄的に「戦力なき軍隊」、「戦車じゃない、特車だよ」と語るのを聞いて、なぜ政府のお偉方は、見え透いたウソをつくのだろう、と思ったものです。そしてこのウソも何度もついているうちに、「解釈合憲」という立派な熟語になり、日本国憲法特に第9条は、立法趣旨とは真反対の社会情勢の中で、すっかり形骸化してしまいました。全く「ウソから出たまこと」です。

 これでは国民が憲法を制定した意味がない、憲法改正すべきだ、という意見が国民の中から出たのは当然です。特に戦後の東西冷戦構造の中で、日本が何らかの国際貢献を果たすためには、ある程度の軍備をするべきだという考えはあるでしょう。理想論では国が滅びる、と言われる山下君の意見も良く分かります。しかし戦後70年の間に幾度も改憲議論がなされながら、いまだに具体的な改憲日程を組むことが出来ないのは、現行憲法が改正手続きを厳密にしている、所謂硬質憲法であることの他に、核装備が常識になっている現在の世界情勢の中で、日本国は再軍備すべきか、逆に戦争放棄の理想を世界に先駆けて成文化した、その英知を今こそ冷戦後の世界に向けて語るべきではないか、という願望が、自公政権与党の支持者を含めた国民の中に、根強くあることも事実です。

 これに対して、現行憲法は戦後のどさくさに占領軍が押し付けた憲法で、特に前文及び第9条は、英語の翻訳その儘で、歴史と文化を誇る独立国に相応しくないから、安倍首相がいう「美しい国」に呼応した美しい日本語で書かれた、日本固有の憲法を持つべきだ、という意見があります。戦後教育を受けた若者に受けそうですが、9条「戦争放棄」の本質に迫るものではありません。護憲派の中には、現行憲法の「前文」を美しい日本語で書き直してみよう、という運動を始めた人が居て、関西の高校生の間で評判になっています。彼等は憲法前文及び第9条の言おうとしていることを、書き直しの過程で学び取っているのです。

 次に憲法第20条「信教の自由」について論じます。実はここでも「ウソから出たまこと」がはっきりと検証されます。
日本国憲法第20条は、先の第9条と異なり、明治22年制定の大日本帝国憲法第28条の条文を引き継いでいるものです。この明治憲法を起草した伊藤博文は西欧諸国の憲法がひとしく「信教の自由」を謳っているのを見て、江戸幕府が異教徒を迫害した「禁教令」はもはや過去のものとなっており、「信教の自由」は「近代文明の一大美果」だとして、明治憲法第28条「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由ヲ有ス」を定めました。一方明治政権は、新国家の精神的なよりどころとして、天皇崇拝を確立しようとし、この天皇崇拝は宗教的な根拠を与えられることによって、一層強化されることを知っていたので、天皇の祖先を祀る伊勢皇大神宮その他の神社を国家神道として、一般の神社仏閣から区別して優遇措置を取ろうとしました。これは上述した明治憲法第28条の信教の自由の条項と、うまく調和しない。そこで明治政府の役人が使った論法は「神社は宗教にあらず」という「ウソ」です。また伊藤はそのような疑問が国民の間に起こることを見越して、「信教の自由」条項に「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ」というただし書きを付加して、国家神道と異なる宗教の信者が国家神道すなわち天皇崇拝に背く行為をすることを禁じて、信教の自由を制限したのです。

 ここで思いだすのは、1891年(明治24年)内村鑑三不敬事件です。その前年第一高等中学校の教員となっていた内村は、1月9日第一高等中学校講堂で挙行された教育勅語奉読式に参列したが、天皇真筆の勅語に対して、軽く頭を下げたままで退出したのを、彼が最敬礼をしなかったのは天皇に対する不敬だとして轟々たる非難が巻き起こり、彼は退職に追い込まれ、その苦境の中で妻は病没し、内村はその後数年、極貧の内に文筆生活を余儀なくされたのです。これは明治政府と言わず、日本人が宗教的に寛容だと言われながら、ある特定の宗教-国家神道=天皇崇拝に関して、極めて不寛容であることを示しています。

「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ」という但し書きは、さすがに日本国憲法第20条には踏襲されず、戦後の私たちは国家から特定の宗教に対する拝礼を強要されることはなくなりました。しかし、例えば最近「国旗・国歌法」制定後、国や公共団体、学校等の行事で国旗掲揚、国歌斉唱が常時行われるようになり、これに頭を下げない「不逞の輩」が非難されるようになると、127年前の内村鑑三不敬事件を再発することになりかねません。

 1956年佐高3年生の時、佐賀バプテスト教会で受洗し,爾後50年一基督信徒として神と人とに仕えてきた私は、信仰の師である内村鑑三の苦悩を識る程に、現行憲法第20条に「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為に関するものはこの限りではない。」(自民党憲法改正案)というただし書きが付加されることによって、明治憲法第28条同様、主文以上の力を発揮して、総理大臣の靖国神社公式参拝が合憲とされ、また大臣に続く政府高官も参拝を要求されることになりはしないか、そこで拝礼を拒否したり、内村鑑三のように軽く頭を下げただけでも非難され、辞職に追い込まれるのではないか、45年前まで国家公務員であった自分がもしその場にいたら、どうするだろうか、と憂い悩む今日この頃です。   (2018年6月14日80歳誕生日に)
 

徳永君と見解の相違その2

 投稿者:山下 永二  投稿日:2018年 6月10日(日)06時06分35秒
返信・引用 編集済
  現代日本の社会問題は、政治家が政治問題として取り上げているため、多くの場合政治的議論ととられやすい。一庶民として純粋に話し合っているのであって政治的意図を持って活動しているのではない。相互の意見の違いを認めて納得できない時は、歴史的検証したり、何が真実かを極めようとしているのです。管理者の石井俊君は、冷静に観察し「政治的」と勘違いしないように願いたい。
1 政教分離とは、「国と教団(宗教法人)」の分離である。
・ 政教分離について、憲法は第20条と第89条がある。第20条一項は信教の自由を保障しており、政治の宗教への介入と宗教団体の政治上の権力行使も禁止している。三項では宗教教育と宗教活動を禁止している。第89条は宗教団体への公金支出禁止を規定している。つまり政教分離は、信教の自由を保障するため「国家と宗教団体の分離」を定めた制度的保障である。
・ 外国の政教分離
各国とも国と教団は、宗教戦争や弾圧等歴史的争いの教訓として信教の自由が認められ、政教分離という寛容性が規則化された。国と宗教の関係は、切り離せない世俗的習慣があり、社会的儀礼は何処の国でも認められている。最も厳しい仏国は教団と協調分離、米国も限定分離をとっている。イギリス、ドイツ、イタリアはキリスト教を国教とし保護している。
・ 最高裁の「目的効果基準」とは
靖国神社参拝の目的は「戦没者の慰霊と遺族の慰謝」であり、その効果も特定宗教に対する援助・支援ではない世俗的社会儀礼を行っているに過ぎない。又靖国神社は他宗教団体と違って普及活動や折伏するような宗教活動はしていない。無宗教とは言えないにしても宗教色は薄く宗派ではない特別な宗教法人である。最高裁は政治と宗教の関わりをその目的と効果によって一定の限度で容認している。法律的にはこれを「目的効果基準」というらしい。所謂、憲法を文言どおり解釈する原理主義をとっていない。
・ 政府の公式見解
靖国神社参拝について、最高裁は直接判決していないが、昭和60年 中曽根内閣の時「首相の靖国神社公式参拝は合憲」と政府の公式見解が出された。その後社会党の村山首相も踏襲された。当時のメディアの世論調査をみると、毎日新聞社は83%、共同通信社でも74%の国民が首相の靖国神社参拝を支持している。
・ 靖国神社参拝の中断
首相の参拝が中断になったのは、A級戦犯が合祀されてから6年後 昭和60年9月 中国の江沢民は反日運動を展開し「歴史カード」の一環に反靖国神社を外交手段として日本に抗議してからです。中国に追随した韓国の反日運動は、小中華意識が潜在して日韓併合による拒否感情から発生し補償の対象にしている向きがある。中・韓の反日運動に国内の反靖国神社勢力キリスト教、仏教信者等とマスコミが加担して参拝は中断を余儀なくされた。日本政府の外交の弱さが露呈した。
・ 日本人の宗教観と死生観
正月には初詣し、お盆は墓参りし先祖を慰霊する行事は日本人の先祖観であり宗教観である。先祖の霊を仏として祀り、神として仏壇や神棚を設け崇める宗教習慣は、古来から受け継がれ根付いている。今なお どこの家庭でも見られる風景です。日本人にとって「死」は断続でなく死後も生存者と共にあり先祖は子孫を見守ってくれると信じられている。人は神として祀る風俗は古事記の神話伝説から始まり、天皇家は伊勢神宮で、平安時代では菅原道真は北野天満宮へ、近世では秀吉は豊神社に、家康は東照宮に時の栄達者や権力者を守護神として神社に祀られた。地域社会でも、公のため功績を残した人々や身命を捧げた人々を神として祀る風俗は日本人の死生観であろう。徳永君はクリスチャンと聞いているが、キリスト教は、神道や仏教より排他的で今なお西欧や中東で争いが続いているには他宗教や宗派を受け入れない一神教だからである。キリスト教信者が反靖国神社勢力になっているのも宗教的寛容性が乏しいからだろう。
・ 靖国神社と全国戦没者追悼式と千鳥が淵戦死者墓苑は「桜花の絆」
全国戦没者追悼式は、第二次世界大戦の日本人戦没者に対する慰霊であり戊辰戦争以来の戦没者を祀る靖国神社とは主催者が国と宗教法人と異なるが、社会的儀礼は同じです。千鳥が淵戦死者墓苑は昭和34年 第二次世界大戦の無名戦死者の慰霊を目的として国が設立した墓である。現在約34万柱が安置されている。靖国神社と異なるのは、無名戦没者の遺骨を祀るお墓であることです。昭和52年 私は市ヶ谷で中隊長ををしている時 儀仗隊長として儀式に参加したことがあります。戦没者追悼施設は時代とともに変化しますが、今後これら施設や儀式は「戦没者の慰霊と遺族への慰謝」のもとに統合され「桜花の絆」として次世代へ受け継がれていくでしょう。
2 憲法の設立過程
・ 昭和20年10月 マッカーサー占領軍司令官は幣原首相に憲法改正を指示。政府は憲法問題調査会を発足し、委員長松本烝治国務大臣は「松本案」を作成した。
・ 昭和21年2月3日 毎日新聞社からスケープされた「松本案」を事前に知りえたマ司令官は、総司令部(GHQ)民政局長ホイットニー准将に所謂「マッカーサーノート」を示し憲法草案作成を命じた。GHQ民政局はケーデス大佐を長とする25名が、密室のなか9日間で憲法草案を作成した。
・ 同年2月8日 憲法改正要綱(松本案)をGHQへ提出した。
・ 同年2月13日 民政局長ホイットニー准将は吉田外務大臣と松本国務大臣に[松本案]を拒否し「総司令部案」を提示した。
・ 同年3月4日 松本委員長は総司令部案を基に「憲法改正草案要綱」を作成し提出した。
・ 同年4月17日 政府は「憲法改正草案要綱」を発表した。
・ 同年6月から国会で審議されて、10月29日に枢密院本会議で最終可決した。
・ 同年11月3日 「日本国憲法」公布
・ 昭和22年5月3日 「日本国憲法」施行
以上が制定までの経過だが、
① 「マッカーサーノート」とは、天皇制の容認、戦争放棄、封建制の廃止の三原則をいう。
② 民政局長ホイットニー准将は吉田、松本両大臣に「総司令部案」を提示した時、日本側が「総司令部を受け入れれば、天皇制は保証されるだろう]と言ったという。総司令部の支配下にある日本は、重圧のもと「総司令部案」を受け入れるか否かの二者択一の選択を強いられた。両大臣は愕然としたという。
③ 総司令部の上に立つ対日管理機構である「極東委員会」(11ケ国)は昭和20年12月27日に設立されたが
マ司令官と天皇制の是非等占領政策について対立していたこともあって、「極東委員会」の活動する前に日本の憲法制定を急いだと云われている。
④ GHQ民政局に憲法専門家が一人もいないメンバーがわずか9日間で憲法草案を作成したのも驚きだが、短期間で作成するため、日本の歴史や文化・伝統を配慮せず米国独立宣言、米国憲法や大統領演説を参考にして文言を英語で作成し提示した。何処の国が外国によって作成された憲法案を基に制定することがあろうか。東京帝国大学 南原繁総長は、貴族院本会議で自主自立的に責任を持って決行できなかった事は極めて遺憾に思い国民の不幸、恥辱を感じると述べた。又東京帝国大学憲法学者 宮沢俊義教授は、多少とも自主的にやったという自己欺瞞にすぎないと嘆いた。
3 「集団的安全保障」と「集団的自衛権」とは異なる。
国連が加盟国の安全を保障するため制裁措置をとるのが「集団的安全保障」であり、「集団的自衛権」は加盟国が共同で防衛することができる国際法上の権利です。「集団的安全保障」は安保理の決議により、経済的制
裁と軍事的制裁 二つの強制措置がある。・ 「国連軍」は未だに創設されていない。
国連憲章には、国連軍という文言はない。安保理は経済的制裁措置等非軍事的制裁措置で不十分な場合は国際平和及び安全の維持・回復に陸、海、空軍の軍事行動をとることができる。いわば強制力を伴う軍事行動をいい、一般に国連軍と言っている。未だ国連軍は編成されたことがない。それは、米英仏露中の常任理事国に拒否権が認められているため、制裁措置に5大国の利害が対立し安保理の機能が果たせず、有志多国籍軍を編成して紛争処理を行っているのが現状です。
・ 朝鮮戦争ではソ連が安保理を欠席したため、米国が多国籍軍を編成して戦った。米国は国連軍と言っているが、実態は多国籍軍です。1991年の湾岸戦争も然り。
・ 冷戦後 国連に平和維持活動(PKO)という新たな任務が追加された。その中に軍事組織を作る国連平和維持義軍(PKF)があるがこれは国連軍ではない。
・ 現代の防衛は「抑止戦略」である。
核兵器が出現してから、第一次及び第二次世界大戦のような総力戦は抑制されたが、宗教や民族が対立する戦争や地域紛争等は絶えない。また対テロ戦争、対サイバー戦等従来にない軍事行動が余儀なくされている。このために、同じ価値観を共有する国と集団安全保障同盟を組んで侵略国に対して防衛に隙を与えない抑止力を高める必要がある。集団的自衛権行使容認は、日米安保条約の隙間を補完したものです。いざという時の戦力は保持しておかなければならないことは言うまでもない。日本だけが平和であればよいという「一国平和主義」は通用しません。又戦争嫌悪の感情論では国の防衛はできません。










 

憲法第9条とベートーベン第9

 投稿者:德永 博  投稿日:2018年 5月31日(木)23時18分5秒
返信・引用 編集済
   山下永二君が5月3日憲法記念日に寄せた拙文に異議を申し立てられたので、私なりの回答を用意しました。このような対話が本ホームページで行われることは、我々佐高八期生仲間内では貴重なことと思われますので、「過度に政治的、宗教的なものは削除する」という幹事の警告にもかかわらず、あえて申し上げる小生の無礼をお許しください。

 まず憲法第20条「政教分離」について、私なりの見解を述べます。
 憲法第20条1項の「信教の自由」は、国から特定の信仰を強制されない「自由」を意味しています。これは戦前、国民が国家神道である伊勢皇大神宮、陸海軍省所管の靖国神社その他の官幣社に対して、仏教徒、キリスト教徒あるいは無神論者であっても等しく拝礼することを強制され、それが特に日韓併合によって日本臣民とされた韓国、朝鮮人基督教徒の反発が起こり、官憲の弾圧によって多くの獄死者を出したことの反省から、日本国憲法によって厳しく運用するように定められたものです。

 山下君が引用された津地鎮祭違憲訴訟は、三重県津市の公共建設のための地鎮祭に津市が神主を招き地鎮祭を行ったことに、市民が憲法第20条違反だと提訴したもので、下級審では原告の主張が認められたものの、最高裁で「社会的儀礼又は習俗的行為に関するものについてはこの限りでない」として原告敗訴となり、「広議の政教分離」説が判例となりました。2008年自民党が作成した憲法改正私案には、20条1項ただし書きとして、「ただし社会的儀礼又は習俗的行為に関するものはこの限りでない。」が付加されています。

 ここで靖国神社参拝が社会的儀礼又は習俗的行為に当たるのか、考えてみます。靖国神社の創設は山下君が解説されている通り、戦前は陸海軍が管理しており、神道を含めた一般の宗教団体と区別されていました。そのため戦後は陸海軍の解体とともに消滅の危機に立たされましたが、「宗教法人」となることを選択して今日に至っています。したがって憲法20条に準拠して制定された宗教法人法の下にあり、誰もこれを宗教ではないということはできません。一方、戦没者慰霊に関する事項は戦後、陸海軍から厚生省に移管され、千鳥ヶ淵に戦没者墓苑が新設され、戦後アジア太平洋諸島から収集された遺骨がここに埋葬され、先月も常陸宮御臨席の下で、政府主催の慰霊祭が行われました。毎年8月15日には、武道館で天皇皇后御臨席の下で、政府主催の戦没者慰霊式典が行われていることも、国民の誰もが知っています。これについて、憲法第20条を持ち出して反対する者は誰もいません。これこそ最高裁がいう「社会的儀礼又は習俗的行為」そのものだからです。

 この政府主催の戦没者慰霊祭を靖国神社で行おうとすると、国の内外で大議論が起こるでしょう。まず靖国神社は宗教ではなく戦没者慰霊施設だ、という主張すなわち、明治2年創設以来靖国神社は国家に命を捧げた戦没者を慰霊顕彰するのは、国民の義務ではないか、という主張に対しては、本当に国難に殉じた者たちだけが合祀されているのか、という疑問が湧いてきます。今NHK大河ドラマの主役になっている「西郷どん」や会津の兵士たちはなぜ合祀されないのか、逆に国策を誤り帝国を滅亡一歩手前まで貶めた東条英機元首相や陸海軍の将星達を慰霊顕彰するのか、と、韓国や中国の人達に文句を言われる前に、何が問題とされているかを、宗教法人靖国神社の当事者は虚心に考えてもらいたいものです。実は私自身、叔父の一人が職業軍人で、日中戦争において33歳の若さで戦死しているので、靖国神社の社殿で叔父に向かって拝跪しなければならないのに、とてもその気にはなれません。

 因みに日本人の宗教観はよく言えば寛容、悪く言えば無節操で、「イワシの頭も信心から」となんでも神様になり、人々は石の地蔵に向かって手をあわせます。それにかこつけて国が疑似宗教的施設を設け、国民に対して拝礼を強要した戦前の日本の姿に戻ってほしくはありません。

 次に憲法第9条「戦争放棄」について、私の意見を述べます。
この条文は憲法前文とともに、敗戦直後の混乱期にGHQが国会の新憲法起草委員会に押しつけ、そのまま憲法条文となったと言われています。しかし当時の幣原喜重郎首相や金森徳次郎委員が、この条文草案をGHQ命令だとして渋々受諾したのではなく、実際に体験した東京大空襲、広島長崎の惨禍を目のあたりにして、もう戦争はこりごりだと思い、この条文を新憲法の柱にしたのだと思います。私たち佐高八期の仲間も、国民学校1年生の時、郷里佐賀で8月5日夜のB29、63機による夜間焼夷弾爆撃を経験しています。幸い佐賀は闇に隠れて損害は少なく、53名の死者を出しただけでしたが、翌日の広島原爆投下、3日後の長崎壊滅で、子供心に恐怖に震えたものでした。それで数年後、文部省から「あたらしい憲法のはなし」が配られ、日本は戦争をしない国になった、と聞かされたとき、素直に喜んだものです。

 憲法第9条「戦争放棄」は、「人はすべて兄弟、他人を信じよう」という思想から生まれています。キリスト教の教え「右の頬を打たれたら、左の頬を向けよ」ともつながっています。争っていた他人同士が和解し共存することが、最終的に地上に平和をもたらすことを、人々は戦争に明け暮れた歴史の教訓として悟り始めたのです。

 19世紀中葉ウイーンに居たベートーベンはナポレオンの興隆と没落を目の当たり見て、剣では欧州に平和は訪れないと悟りました。それで彼は音楽家としての集大成として、交響曲第9番の最終章に歓喜の歌として「すべての人々は皆兄弟だ!」と謳い上げました。それは第一次世界大戦の後、大きな歴史的潮流となり、1929年「不戦条約」となり、当時の大日本帝国もこれに加盟しています。この条約には「戦争放棄」「民族非武装、人類武装」が唄われています。残念なことに1930年の世界大恐慌が、このような理想論を吹き飛ばし、ドイツの再軍備、ポーランドへの侵攻により世界は第2次大戦の惨劇にのめりこんでいきました。その中で開発された核兵器が戦後の冷戦の過程で拡散され、戦後70年の間に北朝鮮までが核武装するに至ったのです。

 私はこのベートーベンの「歓喜の歌」に日本国憲法第9条「戦争放棄」の源流があると見ています。GHQの民生局の理想主義者達が新生日本の憲法として押し付けたか、幣原喜重郎ら日本の為政者が発案してマッカーサーもこれに賛成したとか、色々な説がある中で、当時の日本人がこの憲法条文を喜んで受け入れたことは確かですし、仮に押しつけだったとしても、日本人がそれを世界の先進国の中で率先して憲法条文に入れたことは、誇って良いことだと思います。そして今後も絶対に保持すべき条文だと思います。

 これに比べて、いまだに市民が護身のために銃の保持を許しているアメリカは、「人類は皆兄弟だ」とは思っていない。隣人が銃を持って攻めてくるかもしれない、自分を守るために銃が必要だ、という考えを許容している、遅れた国です。先月ある高等学校で生徒の一人が校舎内で銃を乱射し,十数人の生徒や教師が射殺された事件がありました。その時トランプ大統領は、再発防止のため教員に銃を持たせよう、と提案しました。彼らの先祖たちが追い払ったインディアンが、銃を以て襲って来るかもしれない、そのために「アニーよ銃を取れ」という西部劇が、21世紀の現代まで生きているのです。

 日本は今、アメリカの核の傘の下にあると言われています。強大な軍事大国アメリカと同盟関係を結んでいれば安泰だと、為政者は本当にそう思っているのでしょうか。中国やロシアが怖いから、アメリカと日米安保条約を結び、その強大な軍事力の下で、片務条約にならないようそれ相当の軍備を持ち、尖閣諸島や南シナ海の領海権を主張する中国と対峙しようというのでしょうか。安倍首相は近くプーチン大統領と首脳会談を持ち、北方領土についても話し合いが行われる予定ですが、閣僚や外交諮問機関にロシア通の人が居らず、経済官僚も遠ざけられている現状では、果たして有効な対ロシア外交が打ち出せるのでしょうか。
 集団的自衛権の保持を国連が認めていることは確かです。しかしそれは世界各地の紛争地に派遣される「国連軍」において初めて認められることで、各国の軍隊が同盟国の軍隊と組んで集団的自衛権の行使を行うということではありません。1983年衆議院予算委員会で社会党委員長石橋正嗣議員が彼の非武装中立論を論説した時に、中曽根康弘首相が「民族非武装・人類武装」が安全保障の理想だと答弁したことがありました。これは一般社会では人々は銃を持たず、責任のある官憲が銃を保持して国の安全保障を保つという考えを地球規模まで拡げたものだといえます。今アメリカが唯一の軍事超大国として世界の警官然と振る舞っていますが、その元首たる大統領が、あのように自己中心的な存在で、閣僚や同盟国の首相に「ノー」と言える人が居ない現状では、北朝鮮のような小国は、反発して核ミサイル開発をエスカレートするのではないでしょうか。6月12日に予定されている米朝首脳会談がどうなるのか、注視したいところです。                                        (2018年5月31日)
 

徳永君の憲法観に異議あり

 投稿者:山下 永二  投稿日:2018年 5月22日(火)08時36分1秒
返信・引用 編集済
   冷戦時代からの左翼思想を引き継いでいる徳永君とは見解が大きく異なることは承知していた。日本人として又同窓生として平和への願いは同じでも同床異夢だろう。反論することに意義ありと思い少し長くなりますが述べることにしました。
1 首相の靖国神社参拝は、政教分離に違背しているか?
・ 靖国神社は、戊辰戦争の戦没者の慰霊を祀るため、明治2年東京招魂社が創建され、明治12年に別格官幣社になり靖国神社と改称された。日清、日露戦争、第二次世界戦争と続きその戦没者追悼の中心的施設であった。戦前は陸海軍が管理していて、もともとは宗教ではなった。戦後 米国の占領政策により、昭和20年12月 国家神道を排除するため「神道指令」によって一宗教法人としての存続を余儀なくされた。祭神は、剣と鏡でありこれに戦没者の名簿を備えている「特別の宗教法人」といってよい。
・ 最高裁の政教分離に関する見解
昭和52年12月 津地鎮祭訴訟判決で「国家と宗教は、憲法で社会的、文化的関わりを一切禁止しているのではなく、目的や効果によって関わり度合いを限定したものである。特定の宗教団体や教会に介入し限度を超える場合は禁止される。」と原理主義的解釈を退け「広義の政経分離」説の見解を示した。
・ 日本で政教分離が問題になったのは、昭和62年8月中曽根首相が参拝した時、A級戦犯が合祀されて6年後に中国から抗議された。これを契機に首相の靖国参拝は中断された。それ以前は、天皇や総理大臣や閣僚等議員は、与・野党関わりなく参拝していた。中国の抗議は、明らかに我が国に対する内政干渉である。その後小泉首相が平成13年に暫く途絶えていた参拝を再開したが、多くの宗教団体等から訴訟が起こされたのが現状である。
・ 私達の生活では、古来から死者を神として祀る世俗的宗教習慣が受け継がれている。靖国神社戦没者慰霊参拝もその習慣の一つにすぎない。国のため尊い命を捧げて戦死した人は勿論、その遺族に対しも国が何もしないのは、怠慢であり申し訳が立たない。多くの国では大統領等国のトップが戦没者に拝礼する時は儀式として政教分離と関係なく行われている。
2 集団的自衛権とは
・自衛権は 国連憲章第51条に「個別的自衛権及び集団的自衛権は固有の権利」として定めた国際法で認められている。日本が武力攻撃を受けた場合に必要最小限度の範囲内で武力行使は可能というのが「個別的自衛権」である。「集団的自衛権」は、直接攻撃を受けていない第三国と共同で防衛できるこという。日米安保条約は、集団的自衛権を行使できる安全保障である。
・ 日本の自衛権の根拠
憲法は昭和27年5月 施行されたが、自衛権や集団的安全保障等明文した文言や規定がない。憲法制定当時、防衛や自衛権は、「芦田修正」という解釈から始まった。1951年9月サンフランシスコ平和条約と同時に旧日米安保条約が締結して日本の独立と自衛権が認めれ、防衛や安全保障の解釈の根拠になった。
3 安保法制とは
・ 2015年9月に成立した平和安全保障法制は「平和安全法制整備法」及び「国連平和支援法」である。
・ 「平和安全法制整備法」
従来の憲法解釈を改め集団的自衛権は限定的に行使できると容認された。日本周辺の安全保障環境が激変し、存立危機事態に至った時個別的自衛権では対処できなくなった。日本の国家存立が危ぶまれる時に限って集団的自衛権を行使できると解釈を変更し、日米同盟の実効性を高めため法制が整備された。
・ 日米安保条約の片務性
本来同盟関係は相互依存を主旨とし、相互に防衛するのが原則である。日米安保条約では、米国は日本を防衛する義務があるが日本は米国を防衛する義務はない。代わりに基地を提供するという片務的条約である。
分かりやすく言えば、仲間と一緒にいて他と喧嘩になった時、自分に仕掛けれれた喧嘩には仲間が助けてくれるが、仲間がやられている時は、何もやらないという片寄った約束である。
・ 「国連平和支援法」
従来特措法によって自衛隊を派遣していたが、国際平和への貢献のあり方を一般法で活動できるようになった。
・ 自衛隊の海外派遣の背景
冷戦後、民族問題が顕在化し地域紛争は頻発するようになって、国連の平和維持機能に関する期待が高まった。1991年の湾岸戦争の時、日本は多国籍軍へ130億ドル(約2兆円)という多額の資金を提供したが、人的貢献をしない日本は国際社会では評価されなかった。国連から、より積極的な国際協力を求められるよになり、ペルシャ湾へ機雷掃海のため、海上自衛隊を派遣した。これを契機に国際協調を掲げる憲法の主旨に沿って、人的貢献のため平和維持活動(PKO)を開始した。1992年カンボジア暫定統治機構へ施設部隊の派遣、更にモザンピーク、トルコ、東ディモール、イラク難民救助、タイ、インドネシア等へ グローバルな安全保障環境改善、国際救助活動に海外派遣し国際貢献をした。このため国際平和活動は自衛隊の本来任務として拡充された。自衛隊の海外派遣はこのような情勢の変化のから生れた。私が在籍していた冷戦当時 対ソ戦略対処に専念していた頃とは様変わりした役割・活動を担うようになった。
4 解釈改憲の変更は可能か
・ 当初の内閣法制局の見解
1981年(昭和56年)5月内閣法制局は「個別的自衛権を有しており、憲法9条下で必要最小限の範囲内で許されるが、集団的自衛権は保有しているが許されない」との見解だった。他国では見られない日本特有の見解で冷戦下で米国の傘下に入り安全を依存していた内外情勢から解釈されたのだろう。
2015年に成立した安保法制では、国連憲章第51条で固有の権利として認められている集団的自衛権の行使は保有するが容認できないという解釈には矛盾があり、個別的自衛権と同様に必要最小限度の範囲内で集団的自衛権に含まれると解釈された。
・ 解釈変更の背景
憲法制定当時は、日本は国連に未加盟で日米安保条約も締結していなかったので、集団的安全保障の規定に基ずく活動は全く考える余地がなかった。米ソ冷戦時は、米ソの狭間のなか集団的自衛権の行使の有無はどうでもよかった時代背景だった。その後 朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦後の民族紛争、対テロ戦争、イラク戦争等終わりの見えない戦いが絶え間なく続いている世界情勢に激変した。東アジアでは、中国の軍備増強による海洋進出、北朝鮮の核武装化、ミサイイル弾道開発等我が国周辺の厳しい安全保障環境は想定外であった。
存立の危機を考慮しなければならない情勢の中、集団的自衛権について解釈を変更せざるを得なくなった。
・ 憲法解釈は、時代の変化に応じて政府責任の範囲内において「事情の変更」は認められ、法理論上可能であると法学者はいう。
5 解釈改憲は何故行われるのか?
・ 端的いえば、憲法改正が容易にできない難問になっているからでしょう。
・ 憲法9条にしても憲法20条にしても文言どおり素人が読めば、自衛隊は違憲であり、首相の靖国参拝は政教分離に違背すると解釈される。憲法は昭和27年に米国の占領下で施行され容易に改正されないように硬性憲法にされているため、70年の歳月が経った現在でも改正できない。
・ 宗教は長い歴史と文化がありそれを受け継いでいる習慣が根付いている。従って国家と宗教は社会生活上密接に関わっており、完全に分離すれば混乱が起こる。多少の関わりを認める幅のある解釈が必要だろう。
靖国神社に反対する宗教団体や勢力は、純粋に反対するものもあれば、反対することによって利益や保障を目論むものもあるでしょう。また、第9条の戦争放棄についても、自衛隊まで放棄すれば、国家存立の危機に瀕し亡国になるこは必然である。進化する時代に即応して最小限の範囲内で柔軟に解釈することが国家統治機能であろう。憲法が残って、国が滅ぶ事態は絶対に避けなければならない。また、現憲法が日本の歴史や文化や伝統・習慣を十分に配慮されず占領下で米国主導で早急に制定したことも原因の一つである。
・ 人間のやることだから、不自由なことや理に叶わないことがあれば、皆で話し合って合意するように変えればよいと思うがなかなかそうはいかないのが政治の世界なのでしょう。
解釈改憲は当然慎重に行われなければならないのは言うまでもない。

                         平成30年5月吉日   山下永二










 

憲法記念日に想う

 投稿者:徳永 博  投稿日:2018年 5月 3日(木)18時04分1秒
返信・引用 編集済
   今日5月3日は日本国憲法が1947年5月3日に施行されてから71年目の記念日に当たる。諸外国の憲法が施行後幾度も改正されているのに、この日本国憲法だけは、施行後一度も改正されたことはない。それなのに憲法本文と、我が国の政治形態が、月と鼈ほど乖離してしまった例は、ほかのどこの国にもない。
 憲法第99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と明記されているのに、国権の長である総理大臣や国会議員が、今は一宗教法人にすぎない靖国神社に公式参拝して、憲法第20条3項に違背していることに気が付かない。あるいは、靖国参拝は、国の為に戦って戦死した戦没者を慰霊顕彰するという、社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものだから、むしろ国政に携わる者が、率先して行うべきものだと開き直る。そして「靖国参拝」は憲法20条の「宗教的活動」に該当しないというのだろうか。
 1946年憲法公布の時の総理大臣だった吉田茂が、1950年朝鮮戦争勃発直後、連合軍総司令官マッカーサー元帥から送られた書簡に応じて警察予備隊を創設し、これが国民の間に憲法第9条「戦争放棄」に関する議論を巻き起こし、それが70年後の今日まで「自衛隊違憲論」と、それを合憲とするための憲法改正の動きに至っていることは、改めて述べる必要はないだろう。憲法第9条が自衛権の行使迄放棄したものではないという「芦田解釈」によって合憲だとされてきた自衛隊も、2003年イラク戦争への海外派遣に伴い、それまで集団的自衛権行使は違憲だとしてきた内閣法制局の見解を変更するか、憲法そのものを改正すべきか,との隘路に立たされた政府与党は、安倍首相が提唱して憲法第9条の中に自衛隊を明記する方向で政府与党内の議論が進められている様である。しかし憲法議論とは何の関係もない「森友学園」、「加計学園」で与野党が対立している今の国会では、憲法改正議論は一向に進展しない。
 それにつけても、1947年文部省発行の「あたらしい憲法のはなし」で、小中学生に向けて「『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に、正しいことぐらいつよいものはありません。」と教えていながら、今になって同時多発テロを戦争とみなしてイラクに軍隊を送り、また我が国に対して「旗を挙げよ」と参戦を促すアメリカに呼応して、自衛隊を海外派兵する政府与党が、憲法第9条に違背していないと、誰が言えるのか。同じ「あたらしい憲法の話」の中で、裁判所には『違憲立法審査権』があると説いたのに、「テロ対策特別措置法」(2001年)とそれに続く「集団的自衛権行使」を容認する一連の立法に対して、裁判所が沈黙しているのはどうしたわけか。世の中に憲法学者と呼ばれる人たちは大勢いるのに、この国の官民挙げての憲法軽視の風潮に警鐘を鳴らす学者がいないのはどうしたわけか。かつて東大総長南原繁が全面講和を唱えて政府を批判し、吉田茂首相から「曲学阿世の輩」と罵声を浴びても屈しなかった硬骨の士は、今はどこにもいないのだろうか。
 

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