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星になった人

 投稿者:  投稿日:2011年 1月29日(土)21時29分44秒
返信・引用
  昔、親同士が友人で、旅行に行った春樹君(仮名)。

高校になってから、気になっていた。

我が家でも、たまに春樹君の話は出ていたし、凄く懐かしい気持ちになって、会いたいと思っていた。

私の友達で彼と同じ高校へ通っている人がいたので連絡先を聞く宛はあった。

″まぁ今度でいっか″

そう思っているうちに時は経ち
気づけば私は大学生になっていた。

夏休みの同窓会で、春樹君と同じ高校へ通っていた友達に会い、春樹君の話をした。

「春樹は本当に良いヤツだよ。まぁでもアイツ病気で今1年留年してんだけどな」


初めて知った衝撃的事実だった。


その後、父から春樹君は癌だと言うこと、転移もしてしまったという事を聞いた。


会いたい と思った。

でも、十数年ぶりの再会で健康ではない彼の姿を見ることはあまりにもつらすぎて、怖くて、行けなかった。


それから数ヶ月、その日、私は携帯を忘れて学校へ行った。
夜9時過ぎ、下宿先のアパートへ帰宅し、携帯を開く。
母からのメール
「春樹君、亡くなった」


会いに行けば良かったと思った。
何で行かなかったのだろう…と。
そしてなぜ春樹君だったのか
なぜ医者なのに癌を早期発見できなかったのか
もっと早く大学病院へ行っていたら助かったのでは…
まだ19歳なのに…
そんな事ばかり頭をよぎる


もし今この記事を見てくださっている方がいらっしゃるなら1つだけメッセージを残したい

″また今度″にしないで下さい



 
 

おめでとう

 投稿者:yuiメール  投稿日:2010年11月 4日(木)01時13分23秒
返信・引用
  今年、私の1番の親友が結婚した。
一昨年の冬、実家に帰省した時、夜勤明けにもかかわらず、
隣県から深夜に帰ってきてくれた。

久しぶりに二人で酒でものもうと思っていたんだけど何故か渋る。
しょうがないから近くのレストランに入って話していたら突然財布から2枚の写真を取り出した。
そこに小さな小さな丸い影。
「赤ちゃんができたんだ」
すごく幸せそうな顔でいった。
初めはビックリして声がでなかったけど、
今日とったエコー写真をどうしても今日私に1番に見せたかったと言ってくれて、涙が出そうになった。

おめでとう

何度も何度もその言葉を言ったと思う。

まだ社会人2年目、彼氏も自分の店を出したいという夢をもってるから、これから決して余裕のある生活じゃないと思う。
でもそんなことを全部含めて頑張ると言っている彼女だから、昔から誰よりしっかりしてて、自分の意見をもってて
人を思いやることができる彼女だから、きっと素敵な家庭を作れると思う。
「冬ボは貯金だなー。服もカバンも買えないなー。」
そんなぼやきをしていた彼女だけど、いままで見たことないくらい幸せそうな顔だった。
親友を家まで送って帰る時、涙が出そうだった。


先月の結婚式小さな式だったけど、私とあと数名の友達でティアラをプレゼントした
すごくにあってたよ。
1番綺麗だった
おめでとうこれからも親友だよ。
 

写真嫌い

 投稿者:ととこメール  投稿日:2010年 8月28日(土)15時27分47秒
返信・引用
  とても頑固なおじいさんがいました。
特に写真が大嫌いで、どんな理由があっても 写真だけは撮らせないのです。
年いったおじいさん、ガンに かかっていることがわかりました。
ずいぶん我慢していたようで、医者にかかった時には、すでに末期だったそうです。
入院したおじいさん。家族は、病名をかくし自然にふるまい、おじいさんも てんで気づかない様子。
しかし病状は どんどん悪くなり、あまり起きていなれなくなってきた。
家族も それなりに覚悟ができてきたのですが
おばあさんは、はっとして「どうしよう、葬式の時に飾る おじいさんの写真 ないよ」と
言いました。
本当に写真嫌いだったので、一枚もないのです。

そして とうとう おじいさんは 亡くなってしまいました。

家族で お通夜の準備を始めました。
そして、おばあさんは、おじいさんの書斎を片付けようとした時、見つけてしまいました。
それは

黒い額縁に入った おじいさんの写真でした。

黒いリボンが掛けられていて、ちゃんとした遺影になっているのです。
おじいさんは、自分の病気のことを知っていたのでした。

写真嫌いのおじいさんが、どんな気持ちで病気を気付かないふりして、自分の遺影を作ったのか、想像しただけで涙が出ました。
 

伝えたいこと

 投稿者:チョコ  投稿日:2010年 6月13日(日)18時30分36秒
返信・引用
  これは母の体験した話です。 その時、仮免許に3度も落ちていました。さすがにおかしいとは思いつつも、仮免許の試験を明日に控えていたその日の夜、寝ていたらいきなり金縛りになりました。するとカラカラ…と窓を開ける音がしました。その後小さな足音が自分に近づいて来ます。そして自分の周りをぐるぐる回っていました。その間は不思議と恐怖感ではなく、懐かしい感じがしていたようです。しばらくすると金縛りは解け、足音はいつの間にか消えていました。 朝、窓を見てみると少し開いていました。その時思い浮かんだのが前に飼っていた猫でした。交通事故で死んでしまった猫が飼い主に同じことを繰り返して欲しくなかったのかなと思ったらしいです。 その日の仮免許には合格しました。 母はその頃まだペットの死を受け入れきれず、いつも入ってきていた自分の部屋の窓を開けていたらしいです。 それを聞いた私は運転の際、母に「スピード出して」と言えなくなりましたネコ  

私が泣いた話

 投稿者:ssk  投稿日:2010年 4月15日(木)13時44分48秒
返信・引用
  私は小さい頃、自分でも自分を好きになれないような、そんな子供だった。

祖母は糖尿病を患い、私が小学校5年生の時に失明した。
祖母が倒れた日のことは20年以上経った今でも覚えている。
飲食店をやっていたこともあって酒で無茶をしていたのが大きな原因らしかった。
気丈な祖母だった。
目は見えなくなったけど生きてるだけで結構お金が入ってくるようになったなどと笑っていた。

私が中学生の頃、体も弱り、寝たきり気味になっていた祖母が失禁したことがあった。
祖母が私の名前を何度も呼ぶので祖母の部屋に行ってみると、
祖母が布団の横に正座していて「わたしはもうだめだ、小便もらした」とつぶやいた。
「情けない、わたしは意地張って強がって生きてきたが、
 そんなわたしを知っている人たちはわたしを笑うだろう」と。

正直面倒だと思った。
私は祖母に対する優しい気持ちなどひとかけらも無しに
その場を流してしまいたいという考えだけで祖母に言った。

「めずらしいことじゃない。年をとると誰でもそうなる。
 総理大臣やアメリカの大統領だって年をとると同じようになるんだ。
 プロレスラーや軍隊の将軍だって、ひゃk…200年生きられるわけじゃない。
 もし年とってもなんともないなんて言っているやつがいたらただの強がりか嘘つきだ。
 みんな隠すから、いざ自分が年とっていろいろ弱ってくると、
 もしかして自分だけ、とか思ってしまうんだ。
 ばーちゃんは結構強いと思うし、うーん、なんて言うかイキだと思うよ。
 うそつきの根性無したちのことなんて気に病む必要ない。
 ばーちゃんも200年生きるのはムリだろ」

そう言って、さっさと母を呼んできて後を任せた。


それからときどき祖母の話相手になっていた。
なにかのとき、祖母が「寝ても一畳、起きても一畳、死んでもやっぱり一畳」と言った。
意味を訊いてもただ笑うだけで教えてくれなかった。
学校で先生に聞いたら、私の想像と違う、というかいろいろ間違っていた。
国語関連は苦手でテストの成績も良くなかったが通知表の評価があがった。
先生もいいように勘違いしたのだろう。

祖母がいよいよ寝たきりになり、少し認知症の気が出てきた頃、
祖母に会いに行くと、○○(私の名前)は優しい子だ○○(私の名前)は優しい子だ、と
しつこいくらいに言うようになった。
また鬱陶しく感じたが、胸が痛かった。

祖母が私を優しい子だと思ってしまうようなエピソードはあの失禁時くらいだ。
あの時本当はただ鬱陶しかっただけだったんだと言おうと何度も思ったが言い出せなかった。
やがて祖母は亡くなった。
最後まで私を優しい子だと思っていたことだろう。
しかし、本当のことを言わなくて良かったと思う。
私の判断は正しかったと思う。
優しい行動と優れている行動はイコールなんだと思う。
優しさなのかどうかはあくまでも受け手の感じることであって、
行動する側は、どんなに純粋な思いであろうと、どんなに卑しい考えであろうと、全く関係ないのだと。

そこから優しいという字と優れているという字が同じ理由のうんちくに話を進めようとしたとき、
私の面接をしていた社長が泣いているのに気付いて話をやめた。
内定をもらった。

去年その会社を首になった。
泣いた。
 

1人の物好きと1人のあたし

 投稿者:リリル  投稿日:2010年 4月 9日(金)10時33分25秒
返信・引用
  あたしが体験した泣ける話^^あたしは中学1年のころ俗に言ういじめられていて、誰とも話さなかったし、係われなかった。お昼も1人で食べていた。初めはすごくしんどかったしつらかった。だけどその感覚も麻痺してきて、だんだん何も感じなくなった。そんなこんなで1年が過ぎあたしは2年になった。だけど状況は変わらず、あたしはいつもどうりお昼を1人で食べようと準備していた。そしたら物好きが1人立っていて、 なんで一人で食べるん?一緒に食べようや。」 あたりまえのことを当たり前に聞いてくるそいつに泣けてきた。ずっと1年間求め続けた言葉だった。家に帰ってわんわん泣いた。今でもそいつはあたしの親友で、大好きだ、あの時あたしを見つけてくれてありがとう。君と出会わなかったら、今のあたしはいなかったです。ありがとう。  

私が与えられた運命

 投稿者:岩佐 香菜美メール  投稿日:2010年 3月20日(土)23時44分19秒
返信・引用 編集済
  私にはお父さんとお母さんはいない。

母の顔は見たことない。
声も聞いたこともない。

私が生まれる前父と母は17歳
母はとても遊び人で父はとてもまじめな人で
二人は父の方の祖母の家でくらしていた。
しかし母は掃除もしない、ご飯も作らない、脱いだ下着はそこらへんに脱ぎっぱなし、父の妹や祖母のものを勝手に盗む。
そんな母に祖母は激怒し、母の方の祖母に相談した。
しかし話は噛み合わず、口論となった。
父方の祖母は二人の付き合いに反対した。
ある日、二人は反対する祖母から逃げるように神奈川へ行った。
逃げたのではなく、母方の祖母が勝手に行かせた。
なぜか?私がおなかの中にいたからである。
父方の祖母がそれを聞けば反対すると考えた母方の祖母は二人を神奈川へ行かせたのである。

二人は神奈川の牧場で働いていた。
そんな中私は生まれた。父と母が17のとき。
しかし、私は望まれて生まれたのではなく
仕方なく生まれたのだ。
母は17歳にして子供を3人おろしていた。
だからもうおろせない体で生むしか手段がなく、仕方なく私が生まれた。

私が生まれたと父から聞いた父方の祖母はないお金をひたすら集めて神奈川へ飛んできた。
その頃には私は自分でハイハイが出来るようになったころ。
祖母が玄関を開けると家中ゴミだらけで
そんな中で手ずかみでご飯を食べている私がいた。
顔は赤くただれていて、明らかに放置されていることが感じられた。
祖母は泣いた。
自分の孫がこんな思いをしているなんて…

祖母が私の名前を呼ぶと嬉しそうにハイハイしながらそばに来た。
祖母は一週間いる予定だったが、母のだらしない姿を見て愛想を尽かし3日目に帰ると父につげた。
しかし父はまだ18歳寂しいのは当然。
祖母に泣きながら帰らないでと訴えた。

祖母が帰った1ヶ月後父からの電話があった
ミルクを買うお金がない。祖母は不思議に思った。
父は一生懸命働いてお金もためていた
なのになぜ?原因は母だった。
仕事も休み私の世話もせず
父がためていたお金で遊んでいた。

祖母は我慢できなくなった。
こっちに連れ戻そう
祖母は決めた。

こうしてまた祖母の家での暮らしが始まった。

ある日のこと。父と祖母と祖父は仕事にでかけ父の妹は学校
母は家で私と二人。
父が帰ってくるとベッドには母と知らない男が裸で寝ていた。
その横には私。
父はもう耐えられなかった・・・

こうして二人は離婚した。

私が2歳の時父は他の人と再婚した。
再婚した相手にも一人の女の子の連れ子がいた。

父と義理母と私と義理姉での4人での生活が始まった。
なに不自由なく幸せに生活していた。
私が4歳のときに弟ができた。
その日から地獄のような生活が始まった。

義理母は子育てのストレスを私にぶつけた。
しかしそれはエスカレートし虐待へと変わった。
私がされた虐待の数々を教えましょう。

ご飯は一口しか与えられない。
お菓子は私だけ一切もらえない。食べようとすれば殴られる。
一日中家で一人ぼっちにさせられる。まだ子供の私はもちろん夜になっても電気はつけられない。
山に一人置いてきぼりにさせられる。
時計で頭を殴られ、壁に投げつけられ
骨折する。
手首を包丁で切られる。
洗剤が入った水を飲まされそうになる。
真冬に何時間も裸で外に出される。
裸でガムテープで手足を縛られ口をふさがれ
何日間も寒い押入れに閉じ込められる。

父は全く気づいてなかった。
むしろ父まで私を殴った。
私はそんな生活を小学2年生までたえた。

父が気づいたのは私が骨折した時。
私は虐待されていることを告げた。
父は二度目の離婚をした。
私と父は祖母の家へ戻った。
祖母の家にいる時は私は幸せ。

それから2ヶ月。
朝起きると父の姿がなかった。
祖母に聞くと
「すぐ帰ってくるよ」とだけ言ってそれ以上なにも言わなかった。

何ヶ月経っても父は帰ってこない。
祖母に聞くと
やっと真実を言ってくれた。
「パパはどこか違う所で暮らしてるんだよ。」

私は幼いながらでも理解はできた
 私を捨てた
と…

私は毎日お父さんの帰りを待った。
しかし帰ってはこない。

学校の親子参観。
仕事で忙しい祖母と祖父は
毎回来ることができない。
だから変わりに先生が親の代わりをする。
周りは楽しそうに親子の会話をしている
なんで私だけ…
いつの日かそう思うようになった。

祖母と祖父に育てられ私は9歳
ピンポーン
家のチャイムが鳴った。
ドアを開けるとお父さんがいた。
私は状況が把握できなかった。
なぜいるのか
なぜ帰ってきたのか
父はお金に困り帰ってきたという。
例え私を捨てた父でも私にとっては一人だけの大切な父。
とても嬉しかった。

親子参観の時初めて親が来た。
父は周りの親よりずば抜けて若い。
親子でソフトボールをやった時も一番輝いて見えた。
友達にもとてもうらやましがられ
見返せたきがした。
短い期間の中で父は私をいろいろな所へ連れて行ってくれた。
水族館や、海、公園や、博物館、ドライブもたくさんした。
遊びにいかないことはないくらい
毎日のようにでかけた。
でも…
朝起きるとまた父の姿がなかった。
祖母に聞くと
パパはお前とお母さんが同じ顔してるから見てるだけで嫌になるって言ってた
と言われた。
私はショックだった。
あんな最低な母と一緒の扱いをされたのが…
私は一生祖母と祖父を親とする事を決めた。
父には期待しない。

中学3年生の夏
友達と祭りに行ったあと花火をやった。
もう門限時間の9時が過ぎていて
祖母から何件も不在着信があった。
さすがにヤバイと思った私は家へ向かった
友達は左方向が帰り道で私は一人だけ右方向だった。

夜で暗くて電柱も少ない。
怖くて私はケータイで歌を聴きながら足元がうっすらとしか見えないので自転車を押して歩いていた

ゴツッッ
何かが頭にあたった
その瞬間真っ暗になった。
目を覚ますと辺りは真っ暗で海の音が聞こえた。
私の上に誰かがいる。
痛いっっ!
初めてあじわう痛さ
頭がボーっとして動けなかった
ただ呆然と涙でにじんだ空を見ていた。

男は終わると去っていった。
顔は暗くて何も見えなかった。
ただタバコとコーヒーの混ざった匂いだけ鼻に残っていた。
立ち上がると子宮にありえない程の痛みがはしった。
痛さをこらえながら家へと向かうと
さっきの道に私の自転車が転がっていた。

「早く帰りたい」「怖い」
と思った私は痛さをこらえてひたすら自転車をこいだ

家につくと私の学校の先生の車が止まっていた。
しばらくの間玄関で一人泣いていた
すると祖父が家から出てきた。
祖父は私が泣き逆っている姿を見て驚いていた。
家に入ると先生と祖母がいた

祖母はものすごい剣幕で私をどなりつけて殴った。先生はそれを必死で止めた。
祖母はわたしのズボンのチャックが開いているのを見て気がついた。
レイプされたと。
それから私は警察にいき
学校は出席停止で1ヶ月間も警察署で取り調べがわたった。

犯人は捕まった。
初めてミラー越しに犯人の顔をみた
でもどこかで見たことがある。
犯人は私の叔母24歳の同級生であり叔母が中学の時に付き合ってた人だった。
祖母は私のためを思ってか
隣の町へ引っ越す事を決め
私は毎日朝6時30分のバスで中学へ通った。

それから約3年後

今私は高校3年生になる。
祖母と祖父と叔母と一匹の猫と幸せな毎日を過ごしている。
でも祖母と祖父は仕事で居なかったり
出かけることが多い。
叔母も夜中に帰ってくることが多い。
寂しいけれど、それでも毎日幸せに暮らしています。

この事全てを理解して私と付き合ってくれている彼氏とも、もう1年以上です。

私は思います。
今までの色んな出来事があったからこそ
こうして色んな友達とも出会うことが出来て、愛する人にも出会えた。

だから自分の過去が恥ずかしいだなんて私は思いません。
私を捨てていった母や虐待をしていた義理母や私を傷つけた犯人はとても憎いです。

でも考え方が可笑しいと思うかもしれませんが、
この人たちが居たからこそ
今の幸せな私が居るの思っています。

生んでくれた母に感謝しています。

2歳から小学2年生まで育ててくれた義理の母に感謝しています。

こんな私を理解してくれる彼氏に感謝します。

本当の子供でもない私を本当の親のように育ててくれた祖母・祖父に感謝しています。


ありがとう…
 

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 投稿者:管理人メール  投稿日:2010年 2月17日(水)01時47分59秒
返信・引用
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